七本槍,虎退治など武勇伝の多い加藤清正。豊臣家への忠義,築城の名手,日蓮宗への篤い信仰など,功績,人柄ともにウリの多い興味深い武将である。今日は彼がまだ二十歳の頃に一番乗りの功名を得た城跡を紹介しよう。
岡山市北区下足守に「冠山城跡」があり,本丸跡に「冠山合戦戦死将兵慰霊碑」が建てられている。
時は天正十年四月二十五日,秀吉の中国攻めに抗していた毛利支配下の冠山城主・林三郎左衛門重眞は,城中からの出火により最早これまでと自決を遂げた。この城に秀吉方で一番乗りの功名を得た加藤清正は,竹井将監という猛将を激しく渡り合った後に討ち取る。
この戦いで,林や竹井の他に鳥越左兵衛,秋山新四郎,舟木與五郎,難波惣四郎,權寂和尚など将兵139人の武士道を称え,その霊の冥福を祈るため慰霊碑が建てられた。武勇伝の影には多くの死者がいることを忘れてはなるまい。一将功成りて万骨枯る…である。
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