福岡県の福岡黒田ライオンズクラブが,岡山県の邑久ライオンズクラブと姉妹クラブとなっている。福岡はアジアとの結びつきの深い国際都市であるが,邑久はあまり知られていない。「おく」と読むのも難しい。調べてみると,この二つのLCは戦国時代の縁によって結ばれていたのだ。
瀬戸内市邑久町福岡に「黒田墓所」がある。古い墓ではあるが整然として美しい。地元の方が清掃してくださる御蔭だ。
黒田氏は近江の名族・佐々木一族で,今の滋賀県長浜市木之本町黒田が本貫地である。佐々木宗家・六角氏について永正八年(1511)の船岡山合戦に出た時に,軍令に背いて先駆けをしたため,将軍足利義稙の怒りに触れてしまう。これが原因で近江を去って備前福岡に移住したという。備前の地を選んだのは,佐々木一族の加地氏の勢力があったことによる。
【黒田氏系図】―高政―重隆―職隆―孝高(官兵衛)―長政―
備前福岡に移住したのは高政であり,福岡藩祖・黒田孝高の曽祖父に当たる。高政は志を得ないままに大永三年(1523)に病死し,子の重隆も十数年この地で過ごす。その間に重隆には長男職隆(もとたか)が生まれている。
その後,重隆と職隆は播磨に移り勢力を拡大することになる。つまり,備前福岡は黒田氏揺籃の地であった。後に長政が筑前を領有し新たに福崎に城を築いた時,先祖を偲んで「福岡」と改名した。
長政の高祖父・高政の墓(供養塔)は,右手の一番奥から二番目ではないかといわれている。福岡ゆかりの人物として九州から訪ねて来る方も多いようだ。歴史は時空を越えて人々を結びつける。
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