合理性ばかりで割り切れないところに民俗学の面白さがある。忌避せねばならない行動には、なぜそうなったかという、もっともらしい理由が付随している。いや、もっともな理由があったのかもしれないが、落武者の悲話などと結びつくと妙な説得力が生じてくる。
福山市沼隈町大字中山南に「赤幡(あかはた)神社」がある。普通は白の紙垂(しで)が、ここでは赤だ。平家の赤旗を祀ってあるという。
ここは、「平家谷」とも呼ばれ、平家伝説が多く伝わる。沼隈町誌編さん委員会『沼隈町のくらしと伝承』で次のように紹介されている。
「赤い垂(しで)、赤い鉢巻」
平家の旗は赤旗で、源氏のそれは白旗であったため、平家は凡て白色を忌み嫌った。そのため、神社の注連飾りの垂も赤紙を用い、仕事をするときの鉢巻でも白色を避けて赤いものを使ったという。
「白鷺と綿」
福泉坊の古い住職が、「自分は僧職にあり、清浄の身であるから、この平家谷の禁忌とはいっても、白い綿を作っても祟りはあるまい」といって、ある年、綿をつくったところ、ひどい熱病にかかった。それ以来、この谷では綿をつくる者はいなくなった。また、白鷺もこの谷には降りてこないという。
ふつうの神社といえば普通、しかし、手を合わせた後、赤い紙垂の揺れる社殿に向き合っていると、平家の落武者の無念に思いが向かう。もちろん伝説を知っているから、そんな思いが湧いてくるのだが、明鏡止水の白に比べて赤は何かを主張しているように思えてならない。平家の思いが800年の時を経て続いているのか、里人が平家に仮託して自らを主張してきたのか、いずれにしろ、旅人の足を停める史跡である。
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