最近はB級グルメやゆるキャラで地域おこしが盛んに行われているが、ローカルヒーローというのもある。ゴレンジャーのような戦隊モノの格好をしている場合が多いようだ。今日紹介するのは藤原貞国という播磨国のローカルヒーローである。
兵庫県揖保郡太子町太田の黒岡神社の境内に「藤原貞国掾塚」がある。
藤原貞国とは聞きなれない名だが、我が国を外敵から護った勝れた武将なのである。南北朝期の播磨の地誌『峯相記』を読んでみよう。
大炊の天皇の御宇天平宝字七年に、当国揖保郡布施郷に五足の犢牛を生ず、子細を奏す、異族責来て大兵乱の由占い申す、翌年新羅の軍船二万余艘、当国迄で責入て、家嶋・高嶋に陣を取る、朝家驚て、藤原貞国に的の姓を給り、鉄的を射通す、将軍の宣下をなされ、近国の官兵を駈て異賊を追討しべし、当国の正税を調伏壇所の供断・兵料米に募へしと云々、国分寺東院千手霊像の御前にて、弘曜大徳、兜跋天の秘像を本尊とし、勝軍勝敵の秘法を行ふ、将軍貞国を一陣と乄、官兵魚吹津より出て、発向す、中手大将、国司・飾万郡司等、東手は明石大領、大和緤長宿禰等也、爰に俄に大風吹て、異賊七百三十二艘、沈没畢、官軍彼の失賊の大将の頸を舁き来て、高棚に上て守る、貞国西五ヶ郡の大領たるべしと宣下云々、此時の御祈所并宿願の寺は、大田寺・池上寺・蓮城寺・蓮花寺・川原寺・日輪寺也、社には松原・魚吹・弘山・那祇山の八幡大菩薩也、大田・福井・石見等、貞国の領所にて住国大田郷、楯鼓原黒岡の明神は貞国也、後胤的氏とて当国にさる人々有也
764年に新羅が播磨灘の家島を占領したという。そこまで攻め込まれていたとは! しかし、そんな大事件を今までなぜ知らなかったのだろう? しかも、藤原貞国、日本の守護神でありながら、初めて聞く名のようだが。
それもそのはず、貞国将軍は地元の文献にしか登場しないローカルヒーローだったのだ。事件の記述には元寇が影響しているらしい。話としてはよくできており、存在の証拠として貞国の塚もある。
しかし、この塚、実はきれいな円墳で横穴式石室があり、貞国の名を刻んだ大石は石棺の蓋であった。古墳時代の墓の主も、なんで?という気がしているかもしれないが、ここは古代日本最大の危機を救った英雄を演じていただこう。歴史は想像力を楽しむものだから。
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