おそらく中世は荘園だらけだったのではないかと思われるが、それを実感できる遺物となるとなかなか残っていない。古文書や埋蔵文化財にはあるかもしれないが、現地を訪れて目の当たりに出来る史跡はないのか。と思ったら、あった。
兵庫県揖保郡太子町鵤字北山根に県指定史跡「鵤荘(いかるがのしょう)牓示石(ぼうじいし)」のうち「福田牓示石」がある。
普通の石にしか見えないが、これは法隆寺領であった鵤荘という荘園の境界を示す重要な石である。その証拠は、法隆寺が所蔵している「播磨国鵤荘絵図」という南北朝期に作成された地図に●で「御牓示石」が示されていることである。
これぞまさしく中世荘園の遺物であり、しかも鵤荘ではいくつも残存していることを特筆したい。この石が聖徳太子と結びつき、信仰の対象とさえなったことも保存につながった。今日はあと2つ紹介することとしよう。
太子町佐用岡に「桜ヶ坪牓示石」がある。
写真は北側から南にカメラを向けている。手前の埋もれた石が牓示石だ。標示がないので探すのに苦労するが、太子町教育委員会「法隆寺領播磨国鵤荘ガイドマップ」でおよその位置は把握できる。しかも絵図の●の位置と一致する唯一の牓示石だそうだ。
太子町佐用岡字宮ノ本に県指定史跡「鵤荘牓示石」のうち「平方牓示石」がある。
道路の真ん中にあるのでびっくりだ。向こうの杜は平方大歳(ひらかたださい)神社である。この神社の歴史は古く、祭祀は古代まで遡るのだそうだ。
鵤荘の中では北に位置する牓示石を3つ紹介した。あと4つの牓示石を巡ったので順次紹介したい。平坦な土地で、かつては水田が法隆寺を支え、現在は多くの人が住んで地元太子町を支えている。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。