実際には歩いていない水戸黄門が全国を漫遊する。空海の訪れていない場所に弘法の水伝説がある。伝説とか信仰とはそういうことなのだろう。そうあってほしいという人々の願いが物語を形成するのだ。今日紹介するのは聖徳太子信仰の本場、兵庫県太子町の伝説地である。
兵庫県揖保郡太子町矢田部および東南と姫路市勝原区下太田の境界に檀特山があり、その頂上に「馬蹄岩」がある。南北朝期に作成された「播磨国鵤荘絵図」では、檀特山が「行道岡」、馬蹄岩が「黒小馬蹄跡」と記載されている。
写真とは向きが違うが、馬で登った聖徳太子はここから石を投げ、落ちた内側が鵤荘(いかるがのしょう)となったという伝承がある。檀特山は165mで登りやすく、頂上からの眺めが良い。写真をよく見ると岩の向こうに国指定史跡の前方後円墳「瓢塚古墳」が写っている。
また、太子信仰がさかんになる以前の『播磨国風土記』では、応神天皇が眺めたと伝えられている。
大見山。大見と名づくるゆゑは、品太の天皇、この山の嶺に登りて、四方を望み覧たまひき。かれ、大見といふ。御立の処に盤石あり、高さ三尺許、長さ三丈許、広さ二丈許なり。その石の面に、往往、窪める跡あり。こは名づけて御沓また御杖の処といふ。
檀特山のふもと、太子町東南に「太子感動岩」がある。
太子町教育委員会「法隆寺領播磨国鵤荘ガイドマップ」の解説を読んでみよう。
東南地区の人々は聖徳太子の涙岩と呼んでいます。かつてはこの岩から水が湧き出ていました。また、聖徳太子の説法に感動して、山の上から転がり落ちてきたともいう岩です。
たつの市誉田町内山に「御手洗井戸(太子の御手洗)」がある。
ここは鵤荘の北西隅にあたる場所だ。由来を調べる手掛りを持ち合わせていないので、これ以上語ることができないが、法隆寺領の荘園の牓示石が聖徳太子の投げ石だという伝説と合わせて考えると、太子町は太子伝説に囲まれた町なのであった。
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