ずいぶん昔に佐渡金山に行って驚いた。山が割れている…。有名な「道遊の割戸」である。標高が高く、山頂部が深くV字形になった稜線が、青い空を背景にはっきりと見えた。人間の執念は山の形を変える。
朝来市生野町小野の生野銀山に「慶寿の堀切」という露天掘りの跡がある。「道遊の割戸」とまではいかないが、地表に現れた鉱脈を掘り進めた跡である。
生野銀山は観光坑道もアドベンチャー気分で楽しいが、岩に挑んだ痕跡を自然光のもとで見る露頭跡がよい。夢の跡である。ユニークなのは鑿で刻んだ落書きである。落書きではないのかもしれないが、誰かに見られることを期待しているような遊び心を感じる。
天正19年とは1591年に当たり、鉱山開発を積極的に進めた豊臣秀吉の時代だ。『銀山旧記』という記録には「此等の間歩より銀の出る事恰も土砂の如し」との表現があるらしい。
この頃から江戸初期にかけて日本は世界有数の銀生産国となっていく。その銀は中国に運ばれアジアの経済を動かしたという。ここから掘り出された銀は数多の人の手を経たことだろう。出入りする銀をめぐって悲喜こもごものドラマもあっただろう。ここは日本のシルバーラッシュを象徴する史跡である。