犬吠埼には行ってみたかった。台風概況でよく耳にした岬だったから。台風の位置を示す起点となっていた。犬吠埼の東南東約230kmなどと。“イヌボーザキ”という語感に地の果てのイメージを重ねて聞いたものだった。
銚子市犬吠埼に「犬吠埼灯台」がある。この日はよく晴れた気持ちのよい日だった。青と緑しかない風景に白亜の灯台が映える。
イギリス人技師ヘンリー・ブラントンの設計により明治7年11月15日に完成したレンガ造の巨塔である。文化庁による登録有形文化財であるとともに経済産業省の近代化産業遺産として貴重である。
海といえば島が浮かび対岸の山並みが見える、そのような環境で過ごした私は、太平洋を見て初めて「海は広いな大きいな」を実感するのだ。海に何もない。水平線とはこういうことか。幾何学的な風景が新鮮でたまらない。
この風景を見るために灯台に登ったのだ。銚子市観光協会のパンフレットには「地球の丸く見えるまち」とのキャッチフレーズがある。地球を見ることができる貴重なビュースポットなのだ。灯台内の階段は99段である。九十九里浜にちなむとも言われている。クルクル回って飽きたころに写真のようなメッセージがあって元気づけられる。
この犬吠埼灯台には珍しい霧信号所があった。視界が1.8キロ以下になると35秒周期で5秒間の霧笛を鳴らしていた。圧縮空気によって発生させた「ウォーン」という音だったそうだ。写真撮影時は現役だったが、平成20年3月31日をもって廃止された。
1993年は日本ポルトガル友好450周年の記念に当たっていた。この年は高円宮同妃両殿下の公式訪問、ソアレス大統領の訪日などのVIPから民間に至るまで様々な交流が行われた。下の写真は銚子ぽるとがる友好協会等によってこの年に建てられた「犬吠埼ロカ岬友好記念碑」である。
ピンク色の石材はポルトガル産の大理石ローズオーロラだそうだ。裏面の碑文には次のように記されている。
ユーラシア大陸の東 銚子市とはるか西方ポルトガル共和国シントラ市はほぼ同緯度に位置し、それぞれ、海終わり陸始まる犬吠埼・陸終わり海始まるロカ岬の記念碑があります。
西のロカ岬、東の犬吠埼と対になっている。しかし、ユーラシア大陸の東端はロシアのデジニョフ岬だし、ロカ岬で始まった海はニューファンドランド島あるいはニューヨークで終わるのだ。犬吠埼ではじまった陸も長崎県の佐世保市か平戸市で終わってしまう。
理屈が過ぎたようだ。もう一度、2枚目の写真を見よう。海が終わって陸が始まっているではないか。地球には陸と海しかない。その境界を実感できる格好の場所なのだ。
ここは日本の地質百選に選定されるほどの地学的に重要な場所で、「犬吠埼の白亜紀浅海堆積物」として国指定天然記念物となっている。「人間の歴史と地球の歴史」というタイトルの碑文があったので読んでみた。
犬吠埼という地名のいわれには義経の伝説がある。兄頼朝に追われて奥州へのがれる途中銚子へ立ち寄った義経は、その愛犬を残して去ったが、主人をしたうあまり七日七夜岩頭で吠え続けたところから犬吠埼と名づけられたと言い伝えられています。
また義経が立てこもったと言われる犬若の千騎ヶ岩附近にある犬岩は、死んだ愛犬が岩に化したものだとの伝説も残っています。
ところでこの犬吠埼を形成している岩石は、地質学上では中世代白亜紀層に属するものとされているので、少なくとも七千万年から一億年以上の風雪に耐えてきているものと言うことになります。 銚子市
壮大なタイトルの割には地名の由来と地層の年代を示しているだけだが、それが大切なのだ。オーシャンビューのみならず、海上交通の安全を守る最重要施設、地質学の学習スポット、日葡交流や義経伝説にまで想いを馳せることのできる第一級の観光資源である。西から来た私にとって犬吠埼は、地終わり海始まる、日本のロカ岬なのであった。
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