軍艦島というのが能登半島にあるそうだが見たことはない。私は茨城の海岸でそれを見た。太平洋や日本海のような大海を知らない井の中の私は、磯原に接岸した木々で擬装した軍艦に驚いた。その日は天気が良く海水浴を楽しむ人で賑わっていた。
北茨城市磯原町磯原に「二ツ島」がある。
瀬戸内で育った私にとって海は多島美である。島影と行き交う船が変化のある景観を創出する。しかし、どうだろう、この二ツ島は。瀬戸内がアール・ヌーヴォーなら磯原はモダン・アートである。存在の確からしさを演出している。
「二ツ島」というのは南北二つの島から成ることに由来する。軍艦と呼んだのは北の島のことで、南の島はずいぶん小さい。夏の陽光に煌く宝石のように美しい光景だった。ところが、最近、こんな記事に出会った。2011年5月30日(月)の茨城新聞である。
磯原二ツ島海水浴場、海開きせず 岩礁崩れる恐れ
北茨城市は30日、磯原二ツ島海水浴場について、大震災の余震などで岩礁「二ツ島」崩落の恐れがあり、周辺の民宿・ホテルやトイレなども津波の影響を受けたことから、今夏の海開きを行わないと発表した。
同市商工観光課の担当者は「海水浴客の安全を考えると仕方ない。残念だ」と話した。
崩落とは驚愕である。想い出が崩れ去る気がして他のブログを検索すると、緑が剥がされた二ツ島の写真があった。そうか、永遠なんてないんだ。
前日に泊まったのが民宿暁園だ。あんこう鍋が有名だが夏場なので岩牡蠣が出てきて感動した。
ここはかつて、みのもんたの『愛の貧乏脱出大作戦』に出たことがあり、その成功例として今年2月27日に放映されたSP番組の「あれから10年…あの貧乏店は今…」で再び紹介された。
震災が状況を一変させた。今年もあの夏が来るというのに。それでも、時間はかかるかもしれないが、美しい自然が戻り人々の賑わいも復活すると信じている。日本は過去幾多の震災をも乗り越えてきたのだから。
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