子ども向けの偉人伝によく登場したこの人物。50歳を過ぎてから勉学に励みGPSにも負けず劣らずの精緻な地図を作成した。努力の人である。精神一統何事か成らざらん、の人である。
江東区富岡一丁目の富岡八幡宮に「伊能忠敬翁銅像」がある。
伊能忠敬の史跡としては、香取市佐原の旧宅がもっとも有名である。墓は台東区東上野の源空寺にある。では、富岡八幡宮に銅像があるのはなぜか。『富岡八幡宮縁起』を読んでみよう。
忠敬翁は佐原にて酒造業を営み、五十歳を過ぎた後、黒江町(現在の門前仲町一丁目)に隠宅を構え、天文学者・高橋至時の門下となり、測量術を習得。寛政十二年閏四月十九日(陽暦では一八〇〇年六月十一日)の早朝に富岡八幡宮に参拝して蝦夷地測量の旅に出かけた。
忠敬翁はこの時を含めて全部で十回の測量旅行を企画したが、遠国に出かけた八回までは、出発の都度内弟子と従者を率いて必ず富岡八幡宮に参拝して、無事成功を祈念したのち、千住、品川宿など測量開始地点に向かったことが日記に残されている。
してみれば、伊能図の完成は、富岡八幡宮の祀る八幡神、応神天皇のおかげである。ここは地図づくりの神様である。だから、地図を制作している東京の出版社の信仰が篤い、かどうかは知らないが、そんなご利益があってもいいだろう。
ちょうどお昼になった。同行の千葉の友人も腹がへったと言う。深川に来たら「深川めし」でしょ、と忠敬翁の前を失礼して写真右に写る暖簾をくぐったのであった。
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