源頼朝といえばあの顔が浮かぶ。そう、神護寺蔵の伝源頼朝像である。しかし、近年の研究によれば像主の比定に誤りがあったのだという。あの武将は源頼朝ではないのか!?
学校の先生が「これは源頼朝の肖像です。この絵を見て頼朝がどのような人物か想像してみましょう」と子どもたちに言う。 「気が強そうだ」とか「落ち着いている感じ」とかの声が出る。そして、武家政権の確立はこの人物ならではとまとめられていく。
私たちもあの肖像の、あの鋭い目に強固な意志と冷徹な判断力の持ち主であることをイメージしていた。しかし、人が見かけで判断できないのは今も昔も変わらない。人間そこが面白いところだ。
長野県北佐久郡御代田町大字塩野の真楽寺の境内に「頼朝公の逆さ梅」がある。
逆さ梅とはいわくありげな名前だ。日本の伝説3『信州の伝説』(角川書店)を読んでみよう。
観音堂のそばには逆さ梅がある。古木で幹がいくつにも分かれている。開花が遅く、花が下を向いて咲く。
源頼朝が浅間山に巻狩にきたとき、寺の庭に駕籠を降ろして休み、手に持っていた鞭を逆さにさした。それが根づいて成長したものだという。
この梅は、本来は神霊の降りる神木であったと思われるが、それが忘れられてこのような伝説が生まれたのだろう。
地面に何かを突き立てる伝説は各地にある。それは、杖であったり箸であったり鞭であったりする。突き立てたのは、弘法大師であったり菅原道真であったり源頼朝であったりする。ただ、弘法や道真は信仰の対象となり親しまれているが、頼朝はどうだろう。失礼ながら、あの顔でこんなお茶目な伝説を残すとは想像できない。やはり像主が異なっているのか、それとも人間頼朝の幅の広さを伝えているのだろうか。
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