「踊念仏」を一度見てみたかった。一遍、時宗とくれば、このキーワードだ。歴史の授業でそう習った。易行を特色とする鎌倉仏教において、踊りは誰をも法悦の境地に導くパフォーマンスである。平成16年9月23日、時宗総本山遊行寺で踊念仏があるというので行ってみた。
藤沢市西富一丁目に「藤沢山無量光院清浄光寺(とうたくさんむりょうこういんしょうじょうこうじ)」がある。普通は遊行寺(ゆぎょうじ)という。
秋季開山忌でお参りの多くの方とともに、踊念仏の奉納を見させていただいた。南無阿弥陀仏の唱詠、鉦や太鼓に合わせた跳ね踊りなど、盆踊りのルーツとも呼ばれるのが頷ける。
その名の通り清浄な境内には一遍上人がいらっしゃる。同じ鎌倉仏教でも日蓮聖人とは雰囲気が異なる。
この一遍上人の法灯を今に受け継ぐのが、遊行74代の他阿真円上人である。
ありがたいことに、そのお上人から直接頂いたのが、下のお札である。遊行寺のパンレットの上に載せている。
これは「御賦算(ごふさん)」といって、一遍上人が念仏のお札を生涯に25万1千余人にお配りになったことに始まる時宗独特の行儀である。「南無阿弥陀仏 決定往生(けつじょうおうじょう)六十万人」と刷られている。60万人という数字には、一切衆生にお札を配るという願いが込められている。
一遍上人が御賦算を始めたのには、どのようなきっかけがあったのか。上のパンフレットを開いてみよう。
諸国を行脚し修業を積まれましたが、一遍上人三十六歳の文永十一年(一二七四)熊野本宮証誠殿に参籠され、熊野権現より念仏賦算の神宜啓示を受けました。「往生は、ただ、“南無阿弥陀仏”によってなされる」と悟りを開かれ、南無阿弥陀仏を唱え、だれ彼の区別なく、お札を渡すことが、「仏門の道」と知ったといいます。
この立派な門は「中雀門(ちゅうじゃくもん)」という。安政年間の建造で、明治13年に大火のあった境内では最も古い建物だそうだ。普段は閉じられているが、この日は開山忌なので開門されていた。
この中雀門、関東大震災では倒壊したが、そのまま復元したということだ。倒れても建て直せる。東京も広島も長崎も廃墟から出発して、これほどまでに立ち直っている。日本は再生する。一切衆生の祈りは必ず通じる。