TDRもUSJもいいだろう。しかし、自然の妙味には敵うまい。それは子ども向けに言えば、ドキドキわくわくのアドベンチャーコースだ。本当は修験者の修行場なのだが、それこそ本当に修行をしていたのだろうか。案外、修験者たちも、この先どんな冒険ができるのか楽しみにしていたのかもしれない。
京都府相楽郡笠置町大字笠置字笠置山の笠置寺に「笠置寺修行場」がある。
行場入りする前に「胎内くぐり」で身を清める。天井は切石で覆ってあるが、元は大きな自然石だったそうだ。安政の地震で谷間に滑り落ちてしまったという。
まずは「太鼓石」である。たたくと音がする、当たり前じゃん、ではない。ペタペタではなくポッと籠ったような音のする部分があるのだ。おそらくは写真の部分の空洞で反響しているのだろう。どこが修行なのか、ではない。音の響く部分を探すのが大変なのだ。
次は「ゆるぎ石」だ。この巨石の解説は小林義亮『笠置寺 激動の1300年』(文芸社)に任せよう。
景色の良いこの場所に大きな石を基盤として高さ一・五メートル、幅二メートルほどの石が載っている。
「ゆるぎ石」といって、言い伝えでは、元弘の役の時、本性坊という怪力の僧が敵軍に投げ落とした石であるといわれている。まるで人の手によって置かれたようにも思われ、あるいは攻め上ってくる関東軍を押し潰すために用意された巨石かもしれない。急斜面を転がるこの巨石にあたれば、さすがの北条軍も虫けらと同じくひとたまりもなかろう。平らな石の上にうまく載っているため、この石は人の力でゴトゴト動き、「ゆるぎ石」の名が付けられている。
向かって右上の部分を押すと本当に動く。投げ落とすなど人間業とは思えないが、巨石を動かすのは紛れもなく修行である。
さらに進むと「平等石」がある。これを登るのも修行となる。何が平等なのか分からなかったが、「行道」が訛ったものらしい。行道とは巡りながら修行することをいう。
この辺りは眺めがよくて、遥か下方に笠置大橋が見える。トラス橋だと遠目にも判別できる。この後、笠置山を降りて笠置いこいの館で温泉に入り、あの橋を渡って伊賀方面に向かったのであった。
この傾いた通路こそ真の修行場である。「蟻の戸渡り」という。人の体は平衡を保とうとするため、結構ぶつかりながら進まねばならない。しかし、戸隠山の蟻の戸渡りに比べて格段に安全である。
「貝吹石」は元弘の役の折に、法螺貝を吹いて兵を集めた場所だという。この巨石に登るのも意外に修行となる。
巨石の多い笠置山には、白鳳12年(684)4月に役行者が登って修行したことが「笠置寺縁起」に記されている。修験道の道場としても有名だったようだ。磐座信仰、弥勒信仰、東大寺や朝廷とのつながり、そして現代人をも楽しませるハイキングコース…、笠置山の奥の深さを実感する。
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