東北地方の夏祭りを見てみたい。青森ねぶた、秋田竿燈、仙台七夕と、知らないけれどもすごいパワーを感じる。「がんばろう東北」と声を掛けたいが、「あんたががんばれ」と言われそうだ。三大祭りの少し前に行われる相馬野馬追にも興味がある。理由は単純、カッコイイからだ。
守谷市の守谷城址に「妙見郭」がある。相馬野馬追は福島県だが、守谷市は茨城県だ。しかし市制施行前は茨城県北相馬郡守谷町だった。旧国名では下総国である。
相馬氏の祖、相馬師常は下総で相馬御厨という荘園を支配していたが、奥州征伐で源頼朝から奥州にも領地を拝領した。しかし、鎌倉末期に相馬氏は内紛によって二分することとなった。奥州へ移った相馬氏は、伊達氏と抗争しつつも戦国を生き延び、近世大名へと発展し、七百年の長きにわたって領地を維持してきた。そんな気概を今に伝えるのが相馬野馬追である。
相馬野馬追執行委員会の公式サイトによると、野馬追の起源は、平将門が下総国葛飾郡小金ヶ原において、野馬を敵と見なして配下の兵に追わせたことに始まるという。将門の正統を継ぐという相馬氏がそれを継承した。小金ヶ原は今の松戸市小金原のあたりのことだ。
下総相馬氏が拠点とした守谷城の妙見郭の跡には、守谷市教育委員会による次のような説明板がある。
ここは、守谷城中の郭(曲輪)の一つで、妙見郭と呼ばれていたところです。
相馬氏は、守谷城を築城したときに、ここに妙見菩薩をまつって、弓箭神(きゅうぜんしん)(守護や戦勝祈願の神)といたしました。
相馬氏は、千葉氏の惣領千葉介常胤(つねたね)の次男師常(もろつね)を先祖としております。このため、千葉氏と同様、相馬氏も妙見菩薩を弓矢の神・武家の守護神として信仰いたしました。
妙見菩薩は北極星を神格化したもので、菩薩の総大将とされております。北極星のほかに北斗七星をさすとの説もあります。
福島県相馬地方に伝わる野馬追いは、妙見社の祭礼で、牧に野馬を放牧し、野馬を敵兵に見立て野馬を追い、馬を捕らえ、捕らえた馬を妙見社の神前に奉じたことに始まるといわれています。
ここにあった妙見八幡宮(後に八幡宮を相殿したので妙見八幡宮と称した)は、天文三(一五三四)年西林寺四十一世海印の代に西林寺に移し、江戸時代末期、堂宇破損したため、本尊のみを客殿に安置しましたが、明治二十三年の火災によって焼失しました。
相馬野馬追発祥の地は、小金ヶ原なのか守谷なのか。下総に残った相馬氏も戦国期には守谷城を拠点に頑張っていたが、やがて後北条氏の勢力下に入ることとなる。しかし、名分論では下総相馬氏は本家筋、奥州相馬氏が分家筋となるのだ。少しは本家を立てる言い伝えがあってもよい。
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