親知らずを抜いてから10年以上になる。しばらくは定期的に歯医者に通っていたが、痛くもないし面倒になり行かなくなってしまった。だが、おかげなことに歯や歯茎の調子がおかしいと思ったこともない。歯間ブラシを欠かさずしているせいだろうか。今日は歯の神様である。
四條畷市南野四丁目に「和田源秀戦死墓」がある。歯の神様には見えない。普通の墓のようだ。いや普通でもない。写真には写していないが、周囲に玉垣を廻らせた立派な墓地に整備されている。
和田と聞いてもピンとは来ないが、楠木正行の従兄に当たる人物であり、ここが四條畷であることを考え合わせれば、およその事績は想像できる。現地の説明板を読んでみよう。
和田賢秀公墓
このお墓は正平三年一月五日楠正行公が、四條畷で敵将高師直の大軍と戦い討死にされた時、共に戦われた和田賢秀公の墓です。
賢秀は源秀ともいわれ、正行公とは従兄であり、歴戦の勇将で新発意ともいい、伝説によると賢秀公討死の際敵の首に噛み付き睨んで放さず敵はそれが因(もと)で死んだ。
以来、土地の人は賢秀公の霊を歯噛(神)様として祀っている。
場面絵として浮世絵にでもなりそうな迫力が伝わってくる。敵のショック死もさもありなんである。この敵の名を湯浅本宮太郎左衛門だと『太平記』は伝える。普通に見える墓は天保二年(1831)に大坂の永田友之という人物の建立によるものだ。『太平記』を読んで賢秀の忠節と勇猛さに心動かされたのだろう。
和田賢秀は楠木正成の弟である正氏または正季の子と言われる。和田は「にぎた」、賢秀は「けんしゅう」「かたひで」、新発意は「しんぼっち」と読むといい、けっこう難読である。それにしても、歯で噛みついたから歯噛=歯神様とは分かりやすい。
同じような神様が東大阪市上四条町にある。訪れたことはないが、グーグルマップのストリートビューにも映る小さなその祠は「歯神さん」と呼ばれている。和田賢秀が「自分の刀が折れ敵の刃を口で受けとめ、その刃を歯で噛み切ったところから」歯神さんとして信仰されているとの由来が記されているようだ。
壮絶な討死をした武将が、歯痛を止める神様となっている。民間信仰に相応しいのは東大阪市の祠であり、南朝忠臣に相応しいのは四條畷市の墓である。今日は忠臣でもある歯噛様を紹介したが、その噛む力にあやかりたいものである。食は生の原点、噛む力はすなわち生きる力なのだから。
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