横井小楠といえば、近代国家の創造を志向した熊本藩士である。坂本龍馬の「船中八策」のもととなった「国是七条」を建議した人物として知られている。近代国家の夜が明けた明治初年に暗殺されたが、そうでなければ大物政治家となったに違いない。その号「小楠」は小楠公、楠木正行(くすのきまさつら)に由来するのだという。直接的なつながりがあるわけではないが、激動の時代に一途な思いを抱いた生き様が似ている。
四條畷市南野二丁目に「四條畷神社」が鎮座する。
御祭神は「楠正行公(小楠公)はじめ25柱」とのことだ。小楠公とともに戦った将士が祀られている。明治23年の創建で旧社格は別格官幣社であった。
時は正平3年(1348)正月5日。小楠公は23歳。大楠公、楠木正成亡き後の南朝方の主軸に成長していた。手勢は三千。これを攻める北朝方、高師直は八万の圧倒的な武力である。戦いの様子が『四條畷』という唱歌に歌われている。作詞は「鉄道唱歌」で有名な大和田建樹である。「四條畷神社略記」に掲載されている歌詞の四番から七番を抜き書きしよう。
四
めざすかたきの師直と、
思いて討ちしその首は、
敵のはかれるいつわりか。
欺かれしぞくちおしき。
五
なおも屈せず追うてゆく。
されど、身方は小勢なり。
あらての敵は、遠巻に、
雨のごとくに矢を注ぐ。
六
今はやみなん。この野辺に
すつる命は君のため。
なき数に入る名をとめて、
いでや、誉を世にのこせ。
七
枕ならべて、もろともに、
一族郎党ことごとく、
消えし草葉の露の玉、
光は千代をてらすなり。
隣にも立派な神社がある。小楠公の御母堂をお祀りしている「御妣(みおや)神社」である。大正14年の創建である。
「四條畷神社略記」には次のように記されている。
賢母の教え
足利尊氏より送られてきた父の首を前に、悲しみの余り後を追って自害しようとした正行公を、「父上の遺訓を忘れたか」と懇々とさとして奮起させ、国家の忠臣として育てあげたのが母である。
南北朝時代の忠臣及びその母親を顕彰しているこの場所は、忠君愛国という近代的な思想を教化する場所でもある。それは楠木正行母子には思いもよらぬことだったかもしれない。近代の神社らしい清々しさに包まれたこの場所で、人の生き方や歴史の見方についてじっくりと考えるのもよいだろう。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。