信貴山にお参りしたのは2010年の寅年だった。写真のように大きなトラが歓待してくれたのだが、寅年の干支として造られているものと心得違いをしていた。
境内には檻に入れられたトラもいる。夜な夜な動き出しては迷惑をかけたのでこうなったのだ。勝手な想像である。
奈良県生駒郡平群町信貴山に「信貴山真言宗総本山朝護孫子寺」がある。信貴山真言宗は真言系の宗派で昭和に独立したものである。
上の地図は巨大な張子のトラ「世界一大福寅」の場所である。参道を進むと「聖徳太子御像」がある。武装姿ながら横笛を吹く気品のある太子像である。この優しい表情はどこかで見たことがある。そうだ、長崎の平和祈念像だ。と思って後ろに回ると、彫刻界の大家・北村西望の名が見えた。
完成は昭和54年である。戦前にも同様な像があったが戦争で供出されてしまったようだ。これまたもしやと思い、ヤフーのオークションで検索すると「大和信貴山聖徳太子御尊像」という古い絵葉書が出品されていた。その写真を見ると、騎乗し横笛を吹く武装像で、似てはいるが勇ましさも兼ね備えて、いささか今とは趣を異にした太子像があったことが分かる。
近くに「日本最初多聞天出現霊地」と刻まれた石碑がある。多聞天は毘沙門天のことである。最初に出現したというくらいだから、その後も各地に出現したもうたのだろう。仏像なら各地で拝観したことはあるが、生身の毘沙門天を実見したことはない。信仰心が足らぬのであろう。
本堂には「毘沙門天」を祀っていることを示す扁額が掲げられている。よく見るとムカデがいるが、これは毘沙門天のお使いだそうだ。
輪廻というのは仏教の根幹をなす思想の一つだが、形にすると下の写真のような石の車輪となる。輪廻車といい、六道の世界に生滅を繰り返す生きとし生けるものの姿を表している。
六道とは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つの世界をいい、地獄や餓鬼と聞けばはなはだ怖畏するところだが、安心するがよい。輪廻車の脇を守るのは、あのムカデである。つまり毘沙門天が私たちをお守りしてくださっているということだ。
さて、ここまでトラ、聖徳太子、毘沙門天、ムカデと信貴山を象徴するものを紹介してきた。これらは、どのような関係にあるのだろうか。毘沙門天とムカデについては既に述べた。NPO法人信貴山観光協会の発行するパンフレットの一部を抜き書きしよう。
今から約1400年前、仏敵・物部守屋と激しく対立していた聖徳太子が、この地で物部氏討伐を祈願したところ、毘沙門天王が現れ、戦勝の秘法を授けました。物部氏に勝利した太子は、自ら天王像を彫刻して祀り、信ずべき貴ぶべき山として「信貴山」と名づけ、寺院を建立しました。
本尊・毘沙門天王(多聞天)は、商売繁盛、家内安全、開運長久、心願成就など、多くの願いを叶えてくださる福の神です。聖徳太子がその出現を見たのが寅年・寅の日・寅の刻だったことから、寅にゆかりの深い神様として知られ、境内には数多くの寅の像があります。
西暦でいえば582年のことだという。なるほど、そうであったか。蘇我氏対物部氏の崇仏論争が関係していたとは。信貴山は、歴史的な背景を感じながら信仰心を充足させてくれる老舗のテーマパークであった。
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