伝説ゆかりの地を訪ねると「悪七兵衛景清」によく出会う。「悪」はこの時代の人名に付され、強さや凄さを表すのに使われた。悪左府に悪源太、みんな大河ドラマ「平清盛」に登場した。伊藤忠清を元オリンピックスイマーの藤本隆宏が大きな声を張り上げて好演している。忠清の子が悪七兵衛景清である。
近江八幡市安土町桑実寺の桑實寺に「影清の背くらべ石」がある。「影」の字はママである。ちょうど人の背丈くらいの形の良い石である。
伊藤景清は平景清とも呼ばれるが平氏の一族ではなく、藤原姓伊藤氏である。藤原景清ともいう。伊勢の藤原氏で今も三重県には伊藤さんが多いそうだ。景清は『平家物語』において屋島の合戦での「錣(しころ)引き」でよく知られている。錣は兜の左右から後ろにかけて垂れている部分で頸部を守るものである。
屋島の合戦で那須与一が扇の的を射抜いたこと二より、源氏の意気は大いに揚がる。これに負けじと平家の武士も渚に上がり源氏に立ち向かう。源氏方の美尾屋十郎が背を向けたところ、兜の錣を手で掴む者がいた。十郎はなおも逃げようとする。掴んだ武士は放さない。とうとう、頑丈にできている錣を兜から引きちぎってしまった。そして「遠からん者は音にも聞け、近くば目にも見たまえ、これこそ京童の呼ぶなる上総の悪七兵衛景清よ」と名乗るのであった。
この平家方の豪傑は、その実在以上に伝説や古典芸能において大活躍することとなる。歌舞伎十八番には『景清』があり当代市川團十郎も演じたことがある。平家滅亡後に捕らえられた景清が牢を破るところが見所だ。伝説では日向(宮崎市)の景清廟が有名である。
今日紹介する桑實寺の景清は、牢も破らないし生目をえぐったりもしない。では何をしたのか。説明板を読んでみよう。
平ノ影清は平安時代の勇猛な武将ですが、晩年は薬師如来を信仰し、京都より桑実寺へ眼病平癒のため日参したと伝えられ、そのとき背丈をとゞめた石と伝えられています。
目を患った者が薬師如来に平癒を祈願するのは、今に至るまで長く続く信仰である。桑實寺も薬師如来を本尊とし、西国薬師霊場第46番の札所となっている。景清は平癒を祈願に来たついでに記念として背丈を石に留めたという。猛将もなかなかお茶目である。
私事だが先日、結膜下出血で眼科に駆け込んだ。ちょうど頭痛や鼻血と重なったものだから、ついに来る時が来たかと思ったが、何のことはなかった。初めてで仰天したが、結膜下出血はよくあることだそうだ。やはり、お薬師さまを拝むことを怠ってはならぬ。
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