古道の魅力は、そこを数多の人々が歩んだことにある。熊野参詣に貴人の一行が列をなし、租税を納める庶民が京へ上り、平曲を語る琵琶法師が地方へ下った道である。人は移動する時、向かう場所への思いを抱いている。数多の思いが通った場所だ。通りきれず留まったままの思いもあるのではないか。
阪南市和泉鳥取と山中渓の境の辺りに「琵琶ヶ岸懸(びわがけ)」がある。
ここは熊野古道の一部である。『和泉名所図会』巻四には次のように記されている。『日本伝説大系』第9巻「南近畿」からの孫引きである。
山中村にあり。南海道(なんかいだう)第一の険岨(けんそ)也。石壁(せきへき)、上(かみ)に聳(そびへ)て、片岸(へんがん)、下(しも)に懸(かゝ)れり。行路(かうろ)、陝阨(けうあい)にして、動(やゝもす)れば、車(くるま)倒(たほ)れ馬斃(ほうふ)る。相伝ふ、むかし、琵琶法師、此谷に隕(おち)しとぞ。故に名とす。又、云、澗泉(かんせん)咽(むせ)んて、琵琶の音(をと)に似たり。此ゆへに琵琶(びは)ヵ岸懸(がけ)となつくとなん。
また、現地の説明板では、次のように具体的な情景を描写している。
昔、琵琶法師が熊野詣を思い立ち、琵琶を背にこの谷まで来たとき、一陣の突風に思わず杖をとられて真っ逆さまに山中川に転落してしまった。法師のなきがらは川底に横たわり愛用の琵琶が途中の崖の木に引っかかっていたという。
その後谷底を流れる水音が「コロン、コロン」と琵琶を奏でるように聞こえるので、人々はこの谷を「琵琶ヶ岸懸」と呼ぶようになったと伝えられています。
熊野古道の山中川沿いに進むこの道は、きわめて危険で熊野参詣の難所の一つと言われていました。今もわずかに人一人が通れるくらいの道幅で下は断崖絶壁であり、廃道となっています。
足元がきわめて危険です。見物される方は十分注意してください。
確かに危険だ。今は親切にロープが渡してあるが、安全になっているわけではない。写真で見ると、道の一部が崩落してしまったかのように見える。
見ているようで見えていないのが道中の景色だ。しかし、この崖は忘れることはない。川底と足元の交互に目を遣りながら慎重に進んだことだろう。伝説のように滑落した旅人もあれば、大切な持ち物を落とした人もいただろう。やはり、ここには人の思いが留まっているに違いない。
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