田舎町でオーリガ、マーシャ、イリーナは、かつて暮らしたモスクワを夢見ていた。遠ざかるものに追いすがるかのように「そうよ、早くモスクワへ」と叫ぶ。チェーホフの四大戯曲の一つ、『三人姉妹』である。
ロシア文学から入ったものの話の落としどころに迷っている。それでも考えてみると、史跡を訪ね歩くこともある意味、遠ざかった過去に憧憬を抱いているといえる。過ぎ去りし思い出がみな美しいように、過去はthe good old daysなのである。私の訪ねる史跡も、心に占める位置は三姉妹が夢見たモスクワと何ら異なるところはない。
『三人姉妹』のロシア語表記ができないから英語で書くとThree Sistersとなる。「三姉妹」と訳してもよさそうだが「三人姉妹」なのは「三文芝居」と関係が…アリマセン。
福井市中央一丁目の柴田神社境内に「三姉妹神社」がある。読者諸賢はお気付きであろうが、チェーホフはここに祀られてはいない。しつこいのでもうやめるが、チェーホフはモスクワのノヴォデヴィチ墓地に眠っている。ゴーゴリ、ツルゲーネフといった文豪だけでなく、エリツィン元大統領もこの墓地に眠っている。
柴田神社は柴田勝家の北ノ庄城があった場所である。柴田神社はもちろん柴田勝家を祀るが、三姉妹神社のほうは、日本史上最も有名な三姉妹である下の写真の方々を祀っている。数奇な運命に彩られたとは、まさにこの浅井三姉妹のことであろう。背の高い順に茶々(14)、初(13)、江(10)である。
背後に構えているのは義父の柴田勝家である。天正10年(1583)、実母のお市の方の再嫁により、三姉妹は越前北ノ庄城にやってきた。しかしながら、翌天正11年の落城とともに再び戦国の荒波に投げ出されることとなる。
この三姉妹の像は平成22年12月に設置された。おそらくは平成23年の大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」を意識したものだろう。三人の人生の転機となった場所である。ゆかりを示す記念物の設置は喜ばしいことだ。ちなみに三姉妹神社は平成10年の創建である。
『三人姉妹』は、1901年の初演以来演劇ファンを魅了し、今も人気の作品である。それから1世紀を経て日本の三姉妹が歴史ファンの心を捉えた。どちらも帰りたくても帰れない物語である。三姉妹が本当に帰りたかったのは、父母(浅井長政&お市の方)ゆかりの近江小谷城ではなかっただろうか。
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