イラク北部のモスルは、国内では首都バグダッドに次ぐ大都市である。イラク各地は未だ混迷を続けているが、モスルも例外ではない。AFP時事によると、この都市においても先月29日に車爆弾で警官1人と市民1人が死亡したという。
織物の「モスリン」は、イラクの「モスル」に由来すると言われている。インドの「マスリパタム」に由来するという説もあるが、よく分からない。日本には幕末に輸入され明治中期から国内でも製造が始まった。
尼崎市戸ノ内町五丁目と大阪市淀川区加島四丁目を結んで、神崎川に「毛斯倫(モスリン)大橋」が架かっている。
橋の構造は「3径間連続のプレストレスト合成箱桁形式」で、中央径間76.5mは昭和45年の建設当時に日本最長を誇っていたという。もとの橋は大正末期に民間会社「毛斯倫紡織」が架けた私設橋であった。『尼崎地域史事典』(尼崎市)の「モスリン紡織戸之内工場」の項で次のように説明されている。
’23年園田村戸之内に工場を設立、神崎川対岸の加島へ通ずるモスリン大橋を建設し村に寄付した。このころは日本毛織につぐ全国第2位のモスリン会社であったが、’27年(昭和2)不況のなかで減資整理に入り、東京毛織(株)と合併して合同毛織(株)となった。
その後も経営はうまくゆかず、戦時中は航空機関連の工場となっていたが空襲で焼失し、戦後は住宅用地になった。工場のあったのは上写真では右側、下写真では手前側となる。
毛斯倫紡織のライバルだった日本毛織は今も存続して「ニッケ」として知られている。スポンサーとなっている「ニッケ全日本テニス選手権」は有名で、2008年の大会では女子シングルスでクルム伊達公子が優勝している。
それに比べて、というか比べる必要もないのだが、毛斯倫紡織の痕跡はこの橋の名前だけである。それでも、この橋を毎日多くの人々が通行していることを考えると、これほどの社会貢献はないといってもよいくらいだ。
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