『スター・ウォーズ』だけでなく人気漫画『ワンピース』までもが名画『七人の侍』の影響を受けているという。では、黒澤明はどこから七人の着想を得たのだろうか。まさかlucky sevenでもあるまい。洋の東西を問わず「7」は好まれる数字である。日本には七騎の武士が登場する話が古くから伝わる。
守谷市高野に大雄山海禅寺がある。大変に由緒ある古刹である。
守谷市教育委員会が設置した説明板を読んでみよう。
海禅寺縁起
寛文四年(一六六四)、守谷一万石の領主であった堀田正俊が寄進したものといわれる。
ここでの縁起とは神社、仏閣などの歴史的由来を書き残したものを意味し、この縁起書には次のようなことが記されている。
『海禅寺は承平元年(九三一)、平将門が創建したもので地蔵を本尊とする。将門は妙見菩薩を崇拝し、その加護によって伯父の常陸国香を討ち果し、遂には関東八州(関東一円におよぶ当時の八カ国)を制して相馬郡に居城を構え、平新皇と称し……(以下略)』
この他に、海禅寺には相馬氏数代の位牌や、将門および七人の影武者の墓と称する供養塔がある。ただしこの供養塔は江戸時代のものとされている。
その供養塔がこちらである。
右端が平将門で、隣の七基の墓が影武者のものである。
将門の供養塔には「平親王塔」「天慶三庚子年」「正月廿有二日」と刻まれている。将門の命日らしい。
大岡昇平は戦記文学で有名な作家だが、『将門記』という歴史評論は将門の魅力を余すところなく伝える名著である。
江戸時代の劇作家や伝奇小説家によって、将門はさらに巨大化される。七人の蔭武者を持ち、太陽を呼び戻したり、飛雁を睨み落としたりする幻力が附される。仇敵たる叔父良兼の妾桔梗の前を奪ったが、後には田原藤太こと藤原秀郷に密通されて、顳顬(こめかみ)の弱点を通報される。藤太が動く顳顬をひょうと射ると、たちまち七人の蔭武者は消え失せ、本物の将門は死骸となって横たわる。将門の呪いによって、相馬郡には桔梗は咲かない、ということになるのだが、事実はむしろその逆で、薬品としての相馬桔梗を江戸に宣伝するための、劇作家の趣向であったという。
このように、将門と七人の影武者は江戸時代に大スペクタクルとして展開していくのだが、その関連史跡が上記の供養塔である。また、将門は妙見菩薩を崇拝していたとのことだが、北極星や北斗七星を信仰の対象としている。ここでも将門と七人の影武者の構図を見取ることができる。
将門の史実とは無関係の史跡なのかもしれない。しかし、将門が人々にどのように受け止められてきたかを示す精神史の史跡として重要だろう。