バスに鉄道、飛行機と乗り物には数あれど、鉄道の人気は格別だ。数々の保存車両はそれぞれの施設のシンボル的な存在となっている。蒸気機関車もいいが、実際に走っていた時の記憶がほとんどないので、特にノスタルジーを感じない。それよりもディーゼル機関車と客車、これならうちの近くを通っていた。記憶がよみがえる。
兵庫県加古郡播磨町大中一丁目の播磨町郷土資料館に「別府鉄道の機関車と客車」が保存されている。
別府(べふ)鉄道には野口線と土山線があったが、ここは土山線である。土山駅から別府港駅まで4kmの路線であった。土山駅から資料館までの鉄道跡は遊歩道として整備されている。
鉄道は多木製肥所(現在の多木化学)によって貨物輸送を主目的に敷設された。客車に描かれたマークは「神代鍬印(じんだいくわじるし)」で、現在も多木化学の社章として使用されている。多木肥料を使用して育てた山田錦を原料米として壺坂酒造が醸した「神代(かみよ)の鍬」という大吟醸酒のラベルでも見ることができる。
車両のデータを資料館が設置した説明板で読んでみよう。
六輪連結ディーゼル機関車 DC302
川崎車輛 1953(昭和28)年製造
1966(昭和41)年 倉敷市交通局(岡山県)から譲渡
自重30t 長8330×幅2740×高3705mm
客車 ハフ5
日本車輌製造 1930(昭和5)年頃製造
1959(昭和34)年 三岐(さんぎ)鉄道(三重県)から譲渡
自重8t 長9347×幅2620×高2654mm
定員 座席24人 立席26人 計50人
ディーゼル機関車を製造した川崎車輛は、現在、川崎重工業車両カンパニーとして、台湾新幹線の製造など世界に積極的に進出している。以前の所属先の倉敷市交通局は、現在、民間の水島臨海鉄道として工業地帯と市街地を結んで活躍している。
客車を製造した日本車輌製造は、N700系など日本の新幹線の歴史を支えてきた。以前の所属先の三岐鉄道は、三重県北部でセメント輸送、そして沿線住民の足として活躍している。かつて岐阜県の関ヶ原と結ぶ計画があったので「岐」の名称が残っている。
別府鉄道は、土山駅が貨物取扱駅から外れたこともあり、昭和59年1月31日をもって廃止された。この日は珍しく雪が降ったが、“なごり雪”のように落ちてはとけるどころではない大雪だったそうだ。
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