平成13年に今上帝は「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と述べられた。これは韓国でも好意的に受け入れられたようだ。サッカーワールドカップ日韓共催を翌年に控えた両国蜜月時代のエピソードである。
奈良市大安寺四丁目に「杉山古墳」がある。大安寺旧境内の隅の山「隅山」から「杉山」になったという。地図でも判別できる大きな前方後円墳である。写真は右が前方部、左が後円部となる。
長さ約154mで5世紀後半の築造である。有力者の存在が確認できることもさることながら、注目すべきは前方部南斜面に大安寺の瓦を造った瓦窯(かわらがま)が築かれていることだ。出土した瓦から8世紀末ごろのこととされている。
その頃の大安寺に関する記述が『続日本紀』にある。
延暦元年(782)12月23日条
辛未。是日。太上天皇周忌也。於大安寺設齋焉。百官参会各供其事。
延暦九年(790)12月28日条
己未。是日。当中宮周忌。於大安寺設齋焉。
延暦元年の太上天皇とは一年前に崩御した光仁天皇、桓武天皇の父である。また、延暦九年の中宮とは一年前に亡くなった高野新笠(たかののにいがさ)、桓武天皇の生母である。
桓武天皇の父母の一周忌の法要が大安寺で営まれているのだ。当然大安寺もそれに相応しい舞台として整備されたことであろう。古墳の裾で焼かれた瓦もこの時に使われたのではないか。そのように推測されている。
高野新笠の霊を供養した大安寺、高野新笠を例に韓国とのゆかりに言及した今上帝。日韓関係の現状を見るにつけ、両国の絆を確かめることのできる史跡をもっと思い起こすべきだと感じる。
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