「僕の宝」は重文青銅鏡
神戸の小6 4年前拾った破片
本日の毎日新聞に掲載の記事の見出しだ。小学生1年生の時に鬼ごっこをしていた際に金属片を拾った。6年生の歴史の授業で青銅鏡を習った。ピンときたので金属片を学校へ、そして市教委へ、さらに奈良文化財研究所へ。ついに重要文化財に指定されている「浮彫式獣帯鏡(うきぼりしきじゅうたいきょう)」の一部と分かったそうだ。大発見である。
金属片を見つけたのは神戸市灘区都通三丁目にある西求女塚(にしもとめづか)古墳である。
この古墳は3世紀後半の国内最古級の前方後方墳だという。写真は前方部を写している。後方部は円形に整備されているので前方後円墳に見える。卑弥呼の鏡ともいわれる「三角縁神獣鏡」が7面出土しているのも注目に値する。
「求女塚」という名称が気になる。『灘区歴史散歩』(灘区役所まちづくり推進課)を読んでみよう。
伝説ではその昔、津ノ国(布引付近)に宇奈比処女(うなひおとめ)という美女が住んでいた。これに恋する二人の男があって、一人は付近に住む莵原男(うはらおとこ)いま一人は和泉国の茅渟男(ちぬおとこ)と言った。ところが、不思議なことに、この二人の男は顔かたち、性格、年齢、特技など全く似ていて、娘はムコ選びにとまどっていた。
そこで、相談を受けた娘の親は、二人の男を呼び、生田川に浮かんでいる水鳥を射当てる競射コンクールをやらせ、射当てた方に娘を与えようといった。二人は快諾し、このコンクールを実行した。しかし一人の男の矢は水鳥の頭に、もう一人の男の矢は尾に命中、同点引き分けの結果が出た。娘は夫を定められぬ運命のいたずらを思いわずらって、
すみわびぬ わが身なげてん 津の国の 生田の川は 名のみなりけん
と辞世の歌を残して、生田川に身投げしたところ、これを知った二人の男もなげき悲しんだ末、同じように入水自殺した。その一人は娘の手を、いま一人は娘の足を持ったまま死んでいた。
悲恋物語である。ここ西求女塚は莵原男の塚である。茅渟男は東灘区住吉宮町一丁目の東求女塚に、宇奈比処女は東灘区御影塚町二丁目の処女塚にそれぞれ葬られている。
伝説を聞いてイマジネーションの世界に遊ぶのも楽しいが、古代の遺物そのものに出会えた感動は何物にも代えがたいだろう。大発見の金属片を市に寄贈した小学生には感謝状が与えられたという。
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