生類憐みの令なら小学生でも知っている。希代の悪法として、お犬様は言うに及ばず蚊を打っただけでも厳罰が下ったなどと、面白おかしく語られている。史跡はないのかと探し求めると、求めよさらば与えられん、あった。見よ、お犬様のリアルなモニュメントである。
中野区中野四丁目の中野区役所の辺りは「かこい」、「中野の犬屋敷」があったところである。
モニュメントとはいえ、動くかのような犬がこうも並んでいると、動物の苦手な私はひるんでしまう。区役所の玄関脇には中野区教育委員会の説明板があるので読んでみた。
犬屋敷は、五代将軍徳川綱吉が設けた幕府の野犬保護施設で、犬を囲って飼育したことから「お囲い御用屋敷」ともいいました。中野四丁目あたりの旧町名「囲町」はこれに由来します。
綱吉は「生類憐みの令」によって殺生を禁じ、特に犬の保護策を強行して、江戸郊外の中野に最も大規模な犬屋敷を造らせ、支配役以下多数の役人や医者を置いて、野犬の飼育にあたらせました。
犬屋敷は元禄八年(一六九五)末に収容を開始し、綱吉の死去により宝永六年(一七〇九)に廃止されるまで、十五年間存続しました。敷地は現在の区役所を中心に国電中央線をはさんで約三十万坪(百ヘクタール)に及び、五つの大囲には、各数百棟の犬小屋・餌場・日除場・子犬養育場があって、最盛時には八万数千頭、飼料費は年額九万八千両にも達しました。その後、幕府は方針を変えて、めす犬の収容を主体とし、他は近在の農家に養育料をつけて預けることにしました。犬屋敷の莫大な費用は、江戸の商家や天領の農民たちの負担で賄われました。
「国電」が懐かしい、と思ってよく見ると「昭和五十六年三月」とある。その後、国鉄が分割民営化され「国電」の愛称は「E電」に改められた。これまでに廃止されたとは聞かないが「E電」の呼称も聞かない。あなたの知らない死語の世界に行ってしまったようだ。
話がそれたが、それにしても、「八万数千頭」は凄すぎる。その匂いたるや如何ばかりか。大量に排出される糞はどうしたのか。動物の苦手な私は気になるが、知りたくもない。
ちなみに福岡市は今年の11月4日に「どうぶつ愛護フェスティバルinふくおか」において、髙島市長が“殺処分ゼロへの誓い”の宣誓を行い、犬猫を責任もって飼うよう呼びかけた。そうならば、将軍綱吉も動物愛護の先駆者だったと見直してよいのかもしれない。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。