相撲取りでは寺尾がお気に入りだった。今の錣山親方である。引き締まった体型で男らしいと感じたものだ。寺尾が新十両になった時、源氏山と名乗った。雅な名前だけに将来を期待したが、1場所限りで元の四股名に戻してしまった。その後出世してからは源氏山復活を期待したが、引退まで寺尾だった。
源氏山は寺尾の所属した井筒部屋の名跡で、第30代横綱西ノ海が横綱昇進時に名乗っていた四股名である。寺尾には何の関係もないが、源氏山という四股名の横綱つながりということにして、今日の人物は第12代横綱陣幕久五郎である。
尾道市東土堂町の光明寺に「陣幕久五郎夫婦之墓」がある。
陣幕久五郎の墓は品川区上大崎一丁目の光取寺にもあり、以前に紹介している。陣幕は現在の島根県松江市(旧八束郡東出雲町)に生まれた。現役で活躍したのは江戸、年寄としては大阪、廃業してからは東京などで活躍した。
では、尾道にはどのようなゆかりがあるのだろうか。説明板を読んでみよう。
陣幕は一八二九(文政十二年)島根県東出雲町に生まれ、幼名を槙太郎と言った。少年の頃より力が強く、村の草相撲でも相手がなく、将来相撲で身を立てようと、十九才の時尾道へ来た。初汐久五郎の弟子となり、四股名を「黒縅(くろおどし)」と名のる。師匠にその力量を見こまれ、娘雪の婿となった。
(中略)
一九〇三(明治三十六年)東京で没したが、妻とともに白ひげをここに葬った。
尾道との関係部分のみ抜粋した。他には、「陣幕久五郎」への改名、横綱不知火を破って39歳で横綱に昇進したこと、「待った」をしなかったこと、94.6%という勝率、「横綱力士碑」の建碑など、陣幕の主要な事績が書かれている。
いやはや日馬富士も白鵬も真っ青の強豪無双の力士である。体格もよほど優れていたのだろう。それを偲ぶ石碑が下の写真である。
実際に手を重ねてみるがよい。その大きさに驚かされる。お相撲さんならこんなものなのか、身近にお相撲さんがいないので確かめることはできない。
もうすぐ初場所が始まる。今場所は稀勢の里に頑張ってほしい。久しぶりの日本人横綱の誕生に期待しているのだ。モンゴルにブルガリア、ブラジル、グルジア、エジプトと相撲界がこれほどインターナショナルになっていることを陣幕が知ったら、さぞかし驚くことだろう。
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