週明けに、いよいよ集団的自衛権の行使容認の閣議決定がなされるようだ。「これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと」など3つの要件が付いている。日本が存立できなくなるという状況なら武力行使もしゃあないな、という気になる。
そこで思い出すのが、大東亜戦争の開戦詔書である。その一節に「帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ。事既ニ此ニ至ル。帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲、蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ。」とある。戦争は自衛のためにする。そんなの常識。しかし、始めてしまった戦争が必ずしも我が国の存立を保障するとは限らない。
近年『永遠の0』をはじめ、特攻隊はずいぶんと美しく描かれている。死者の業績を讃えるのは後世に生きる者の務めであるが、死を強要するシステムが存在したことは今後の教訓とせねばなるまい。戦争の現実は決してロマンではない。
福岡県朝倉郡筑前町高田の筑前町立大刀洗平和記念館に旧陸軍第五航空教育隊正門の門柱が保存されている。
現在の場所に移設されたのは平成22年1月で、元の場所は国道500号の山隈交差点である。
南九州市の知覧特攻平和会館にも行ったことがある。ずいぶん昔のことだが、展示されている遺書を読みながら泣いたことを覚えている。ここはかつて大刀洗陸軍飛行学校知覧分校であった。本校のあった大刀洗には、大正8年に陸軍飛行場が開設されて以来、東洋一と呼ばれる一大航空基地が整備された。
陸軍第五航空教育隊は飛行場に隣接して昭和14年に開隊した。戦闘により故障、破損した飛行機を修理、改造、整備して、再び前線に送り出すことのできる航空技術兵を育成することが目的であった。大刀洗平和記念館の『常設展示案内』には、落下傘の補修や畳み方の訓練を受けた元航技兵の方の証言が掲載されている。
さらに西へ進むと、第五航空教育隊の北門跡がある。場所は福岡県三井郡大刀洗町大字山隈である。
特攻隊員を含む多くの航空兵が訓練を受けた大刀洗飛行場は、昭和20年3月27日、31日に、B29の猛爆を受け壊滅する。第五航空教育隊の死者は130名で、多くは防空壕がつぶされての圧死だったという。
ところで岡山市内に大刀洗(たちあらい)という地名がある。岡電バス岡南飛行場線のバス停である。岡山市南区浦安南町である。
ここは近代になっての干拓地だから、武士にゆかりの地名とは縁遠いはずだ。この地には昭和17年に逓信省岡山地方航空機乗員養成所と附属飛行場が開設された。これを昭和19年に陸軍が接収し、太刀洗航空隊岡山分遣隊を置いた。下は養成所と飛行場を結ぶ橋の名残りである。
知覧も岡山も、大刀洗陸軍飛行学校の分校という位置付けだったようだ。その後、知覧は特攻基地に変更され、今は往時を偲び平和の尊さを学ぶ場所となっている。岡山はJTの倉庫や市総合公園として平和そのもののたたずまいである。
岡山の飛行場で訓練を受けた若者は、その後どうなったのだろうか。写真で説明すると、兵舎は右に、飛行場は左に位置する。この橋を渡った若者は、散華という美しい形容の理不尽な死を遂げることはなかっただろうか。