「ノアの方舟」は『旧約聖書』に登場する有名な伝説で、ノア一家と動物たちが大洪水から方舟で難を逃れる物語だ。2010年4月29日のAFPの記事によれば、中国とトルコのキリスト教系の探検家チームが方舟が漂着したといわれるトルコのアララト山の山頂付近で方舟の木片を発見したと発表した、という。ほんまかいな。伝説のロマンに誘われて探検に向かう。その気持ちはよく分かる。しかし、伝説と史実は区別せねばなるまい。
ところが、考古学や地質学でも近年までノアの大洪水が生きていた。「洪積世」である。大洪水によって積もった地層の時代という意味合いがあった。これに対して、今から1万年前までを「沖積世」と呼んでいた。これは河川の堆積作用によって地層ができた時代という意味だった。
「洪積世」は今では「更新世」と呼ばれている。新鮮な響きでよいとは思うが、古き良き時代が失われるようで少々淋しい。
浜松市浜北区根堅(ねがた)に「根堅遺跡」がある。写真の場所から少々左の方に「浜北人骨発見の地」という標柱があるようだ。
ここは石灰岩の採石場だった。骨にカルシウムというのは、人の健康のためだけではない。石灰岩中のカルシウムが骨化石の保存に適しているのだ。
さて前回の記事では、懐かしの洪積世人骨として、明石原人(原人)、葛生人(旧人)、牛川人(旧人)、浜北人(新人)、三ヶ日人(新人)を列挙した。これらのうち新人の二人が現在の浜松市出身である。前回のゲストは三ヶ日人だったので、今回は浜北人に登場してもらおう。
遺跡の入口に旧浜北市教育委員会が1995年(2001年一部修正)に作成した詳細な説明板があるので関係部分を読んでみよう。
昭和35年頃、岩水寺(がんすいじ)の西側では石灰岩の採掘中にトラ・ヒョウ・シカなどの化石獣骨が出土しました。昭和37年・38年に東京大学理学部人類学教室の鈴木尚名誉教授らによって行われた発掘調査で化石人骨が発見され、日本における更新世人類の存在を示す貴重な遺跡であることがわかりました。
石灰岩の洞窟を埋めている土の上層からは、頭骨・下顎智歯(かがくちし)・鎖骨・上腕骨・尺骨・腸骨が発見され、下層からは脛骨(けいこつ)が発見されています。この化石人骨は上層が約一万四千年前、下層が約一万八千年前のものと確認され、「浜北人」と命名されて学会に発表されました。
上層の化石人骨は1個体分で20歳代の女性と考えられ、現代型ホモサピエンス、つまり新人であり、身長は143cmと推定され、現代人と比べると低く縄文時代人に似た体形の人類と考えられています。
鈴木尚先生は牛川人や三ヶ日人にも関わりが深く、洪積世人類の大恩人である。ところが近年、先生の研究成果を否定する報告が相次いでいる。これは先生の業績を傷つけるものではない。スポーツの記録が後進の目標とされやがては破られるのと同じで、最新の研究成果も鈴木人類学という土台があればこそである。
洪積世人類のもう一人の大恩人、直良信夫先生の関係する明石原人は縄文時代以降の新人で、葛生人は獣骨と室町時代人だったという。鈴木先生の三ヶ日人が縄文時代人だったことは前回述べた。そして、牛川人は獣骨であった。
かくして洪積世人類は絶滅の危機に瀕しているわけだが、本日のヒロイン「浜北人」嬢は大丈夫なのか。うれしいことに浜北人骨に疑義は生じていない。放射性炭素による年代測定という難関を2002年にクリアした。20歳代だという「浜北人」嬢はなかなか優秀である。
そういう目でもう一度説明板を読んでみよう。そこにはもはや「洪積世人類」という言葉はない。正しい表現「更新世人類」となっているではないか。さすがはホンモノ。沖縄出身の更新世人類が多い中で、唯一本州出身である。ガンバレ「浜北人」嬢!
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