宇宙の歴史が138億年、地球の歴史が46億年、人類の歴史が700万年、では、日本の歴史はどうだろう。かつて60~70万年前と言われた遺跡が存在した。上高森遺跡という。
ところが旧石器捏造事件で、上高森遺跡は遺跡登録を抹消され、日本の歴史は3~4万年前までに戻ってしまう。ところがその後、新たな発掘が進み、出雲市の砂原遺跡の石器は11~12万年前とされている。歴史がまた長くなっている。
最古の人類サヘラントロプス・チャデンシスのように化石人骨が見つかればよいのだが、日本ではなかなか難しい。現在、日本最古の化石人骨は、3万2000年前の那覇市の山下洞人(やましたどうじん)である。
浜松市北区三ヶ日町只木(みっかびちょうただき)に「洪積世 三ヶ日人骨出土の地」、「只木遺跡」がある。洪積世は200万~1万年前を表す時代区分で、今では更新世という。
三ヶ日人(みっかびじん)なら、かつて教科書で習ったことを記憶している。他にも明石原人、葛生人(くずうじん)、牛川人、浜北人がいた。明石原人はジャワ原人や北京原人と同段階とされた。葛生人はネアンデルタール人(旧人)に近いとされた。牛川人は旧人とされた。浜北人は新人とされた。そして三ヶ日人も新人とされた。
三ヶ日では、いったい、どのような人骨が出土したのか。説明板を読んでみよう。
三ヶ日人只木遺跡
一九五八年(昭和三三年)、三ヶ日町只木の石灰岩採石場で、獣骨の化石を見つけた山本三男氏が、三ヶ日高校の高橋佑吉教諭に届けたのがきっかけとなり、翌年、東京大学理学部人類学教室(鈴木尚教授)と同地質学教室(高井冬二教授)により、地元只木区と三ヶ日町、三ヶ日高校などの協力のもとに発掘調査が行われた。
その結果、現生人類の祖先とみられる約二万年前の洪積世新人(旧石器時代)の人骨七片(頭骨五、腸骨、大腿骨)と数多くの洪積世動物(オオツノシカ、ヒョウ、アオモリゾウなど)の化石が発見された。三ヶ日人骨の発見は、旧石器時代の確認となったばかりでなく、当時の日本人やその生活状況等を解明する貴重な資料となった。
その後、三ヶ日人は歴史教科書でも紹介され、只木遺跡は一九八〇年(昭和五五年)に静岡県文化財(史跡)に指定された。
平成十六年二月 三ヶ日町教育委員会
ということで、出土したのは約2万年前の人骨だった。そして、この地は県指定の史跡となった。公的に承認された堂々たる洪積世人骨だったのである。
ところが、平成25年11月11日、県教育委員会は県指定を解除したと発表した。というのも、平成13年に放射性炭素法により約8200~1万1000年前の縄文時代の人骨と測定されていたのである。その後も測定結果を覆す新証拠は出てこない。ついに遺跡は格下げとなった。
このことは私の世代には驚きだったことだろう。教科書に書かれていたことが間違っていたというのだ。嗚呼、いったい何を信じたらよいのか。
しかし、一番驚いたのは、くだんの人骨をかつて所有していた本人であろう。一万年前の人が二万年前に生きていたとされ、やっと今、真実が分かったのである。旧石器時代なら重要文化財だが、縄文時代ならただの骨。俺の骨に勝手な価値を付けるな、と言っているはずだ。
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