メンソレータムとメンタームと名前が似ていて商品も似ている。どちらかが模倣品で「類似品にご注意ください」に該当するのかと思ったら、どちらも由緒正しい医薬品であった。メンソレータムはロート製薬、メンタームは近江兄弟社のブランドである。
近江八幡市魚屋町元(うわいちょうもと)に「ヴォーリズ像」がある。分かっていると思うが、右の人物がヴォーリズである。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズは近江兄弟社の創業者で建築家である。近江兄弟社は兄弟が創ったから、そんな社名かと思ったら、そうではなかった。「クリスチャン精神に基づき目的に向かって心を一つにする仲間」という意味が「兄弟」にはあるそうだ。副碑の説明文を読んでみよう。
名誉市民ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、1880年(明治13年)10月28日、米国カンザス州レブンワース市に生まれた。両親の感化により信仰心の厚かった彼は、1905年(明治38年)2月、24歳のとき、国際YMCAから日本の近江八幡に遣わされた。
以来、1964年(昭和39年)83歳で亡くなるまでこの地を去ることなく、キリスト教精神に支えられた、愛に満ちた理想社会実現のため、彼を慕う多くの人々と力を合わせて、医療や教育事業を進め、建築に卓越した手腕を発揮し、キリスト教を伝道し、福祉や文化を高めるなど、多彩な社会貢献活動を展開した。
そして、これらの活動を経済的に支えるため、建築設計会社をはじめメンソレータム(現メンターム)で有名な製薬会社を興し、企業家としても大いなる成功を収めた。
外観よりも内容を重視したヴォーリズの西洋風建築は、大丸心斎橋百貨店や関西学院大学をはじめ、住宅、教会など国内外に1600にも及んだ。
多くの協力者とともに成し得た数々の偉大な事業とその精神は、今もなお引き継がれ、近江八幡市民に広く深く息づいており、その評価は衰えることなくますます強く私たちにその人となりを慕わせずにはおかない。
「世界の中心は近江八幡にあり」と唱え、すべての人が幸せになれるまちづくりを目指した彼の足跡を、かけがえのない宝として近江八幡市民の名において永遠に顕彰するため、ここ「ヴォーリズ創めの家」ゆかりの地に記念の像を建立し、これからの郷土づくりの糧にしていきたい。
1999年5月 近江八幡市
ヴォーリズの生れたレブンワース市と近江八幡市は平成9年に「兄弟都市」の盟約を結んでいる。ふつう姉妹都市だろ、と言いたくなるが、近江兄弟社に敬意を表しているから兄弟都市なのだろう。
ヴォーリズは大正8年に一柳子爵家(旧小野藩主)の満喜子と結婚、昭和16年には日本に帰化し一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名した。昭和33年には近江八幡市名誉市民の第一号となった。上の写真の像は、女の子が名誉市民のお祝いの花束を渡している情景ということだ。
昭和39年に亡くなり、没後に正五位に叙され勲三等瑞宝章を受章した。日本を愛し、日本人から愛された人格者であった。
近江兄弟社の創業は明治43年で、米国メンソレータム社から販売ライセンスを得て、大正9年からメンソレータムの販売を開始した。ところがヴォーリズ没後の昭和49年に業績悪化により倒産、メンソレータムのライセンスを失ってしまう。
翌年の昭和50年にロート製薬がライセンスを取得し、いまメンソレータムといえばロート製薬の医薬品である。ロート製薬も明治32年創業の老舗で、社名は目薬の開発でお世話になったミュンヘン大学のロートムンド博士に由来するようだ。
いっぽう近江兄弟社は大鵬薬品の支援や社員の努力によって再建を果たし、既に登録していた「メンターム」の商標で主力商品を復活させたのである。メンタームはメンソレータムの略称らしい。
ヴォーリズを育てた近江は才覚のある商人を輩出し、彼等は近江商人と呼ばれている。買い手良し、売り手良し、世間良しの「三方良し」が信条である。現代の大店では高島屋や伊藤忠商事がその系譜をひいている。
青い目をした近江商人ヴォーリズの会社は、今も近江八幡に本社を置いて地域に貢献している。近江八幡市のふるさと納税の謝礼品に「近江兄弟社メンターム リップクリーム使いくらべセット」がある。ヴォーリズは近江八幡市の誇りなのである。
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