モノレールに乗ったのは東京モノレールくらいなものだ。初めて乗った時には、クネクネよく曲がるなとか、クルリンとひっくり返らないのかな、とか思ったものだ。
ただ、モノレールといえば遊園地のイメージがあったが、大きなキャリーケースを持ったビジネスマンと一緒に乗っていると普通の乗り物だということが分かった。
姫路市高尾町の高尾アパートの3~4階部分は姫路モノレールの「大将軍駅」跡である。大将軍とは勇ましい名前だが、南の新幹線沿いにある大将軍神社が駅名の由来だ。方位を司る神様らしい。
姫路モノレールは姫路市交通局が運営する市営モノレールだった。公共交通機関として自治体が運営するモノレールとしては全国初であった。開業は昭和41年5月17日、時代は高度経済成長期である。乗客らは輝かしい未来を見ているような高揚した気分になったことだろう。
『BunCul(バンカル)』という地方雑誌がある。その2014年春号の特集は「はりまの廃線跡を歩く」だった。姫路モノレール、そして大将軍駅も取り上げられていた。
三~四階部分が、唯一の中間駅だった旧大将軍駅だ。ビルの中にある駅は世界でも珍しいそうで、現在の「エキナカ」を先取りしていたかのように思える。プラットホームは広く、エスカレーターも設置されていたというが、姫路駅に近いこともあり利用客は少なく、開業後二年で営業を停止、通過駅となった。
確かに昭和40年代に複合施設の駅とは珍しかっただろう。駅直結のアパートで人気物件だったのかもしれない。上りは姫路駅で下りは遊園地のある手柄山駅である。ビジネスにレジャーに利便性の高い公共交通機関となるはず…。
しかし、昭和43年1月31日をもって大将軍駅は休止となった。あまりにも姫路駅に近く、利用者が少なかったようだ。モノレールそのものも経営不振で昭和49年4月11日に休止、昭和54年1月26日で廃止となった。今もビルの中に駅名標が残っている。
いま、モノレールは夢を運んだ痕跡を所々に残すのみである。聞けば高尾アパートも取り壊しの予定があるらしい。いっぽうで姫路駅前の再開発が進んでおり、都市の魅力は一層高まるだろう。せめてモノレールの夢の記憶を記録に残して後世に語り継いでほしいものだ。
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