ティーピーピー ティーピーピーと長渕剛が歌っていたかどうかは知らない。TPPに参加するとかしないとか、そんな牧歌的な食糧安全保障を論じていた頃がなつかしい。
今や食糧の確保ではなく、武器を手にアメリカと協力し海外で自衛隊が活動することで、我が国の安全を保障する時代になった。集団的自衛権の発動で平和が確保されるというより、逆に戦争のリスクは高まらないのか心配だ。
本日、安全保障関連法案が衆院特別委員会で可決された。ろくなもんじゃねえ。
松江市朝日町の松江テルサ前に「ブロンズ像 はじめ人間ギャートルズ」がある。
ゴンちゃんが武器を手にしている。7歳の子に武器とは物騒だが、人間相手の戦争への動員ではない。上の写真ではゴンちゃんがマンモーを追いかけている。狩りである。食べ物の確保なのである。
ところが、うまくいかなんだな、これが。マンモーに裏をかかれて逃げられたり、おどかされて逆に逃げ出したり、食べ物にありつけない。父ちゃんやドテチンというゴリラみたいなのが助けてくれることもあるが、そうでない時も多い。
つまり、食糧の確保は昔から今に至るまで、実に厳しいということだ。その厳しさに負けず、人類は戦いを挑んできた。ある時は巨大なマンモスに、ある時は猛威をふるう自然に、またある時は食糧を持つ豊かな国に。
マルクス主義史観ではないが、あらゆる戦争には経済的動機がある。食うために満州を確保し、それを維持するために中国と戦争し、それを解決するためにアメリカと戦争を始めた。
それがいかに愚かなことであったかを痛切に反省してきたのが、この70年だったはずだ。すべて平和のうちに食糧を確保しようとしてきた。
税金をつぎ込んで農業を保護してきたのもそうだし、農家の反対を押し切ってTPPに参加したのも、外国との貿易を円滑に行い食糧の安定供給を確保するためであった。
昨年の総選挙は「アベノミクス解散」だとか、経済的側面が争点のように言われ、広い視野から経済政策を打ち出す自民党が大勝したが、その結果が今のありさまなのだ。
自民党に多くの人が投票した結果の責任を、全国民が引き受けること、これが政治なのだ。この現実を選挙権が与えられた18歳の少年少女は、どのように受け止めただろうか。
ブロンズ像となった「はじめ人間ギャートルズ」には、次のような説明がある。
地平線を背にして、マンモスと共にたくましく生きる原始人の生活を大らかに表現した代表作
そう、ギャートルズが描いていたのは共生社会なのだ。これを原始共産制と呼べばマルクス主義だが、古代に理想社会を求めるのは古今東西よくあることである。
松江市外中原町に「園山俊二のお堀端」がある。
園山俊二(1935~1993)は、「はじめ人間ギャートルズ」の作者である。他に「がんばれゴンベ」「ペエスケ」が知られている。このあたりで生まれた園山は、少年のころ、松江城の外堀で魚釣りをしていたそうだ。
人類は発展とともに、様々なことを考えねばならなくなった。それを進歩と呼べばきれいに聞こえるが、最近流行の断捨離を実践し、いろんな執着を捨て去るのがよいだろう。そして、生きる目的を食うことと恋することくらいに考えてはどうだろうか。ギャートルズを思い出しながら、そう考えた。
まあ、食と恋こそ執着の本質という指摘もあるだろうが。