我が国の宗派のうちで、史上最強は浄土真宗であろう。その門徒で構成される一向一揆は、加賀で守護大名を倒して「百姓の持ちたる国」をつくり、摂津大坂では石山本願寺を拠点に織田信長と激しく対立した。
石山本願寺は、あの信長を相手に11年間がんばった。この長期戦を背後で支えたのが、播磨の本徳寺を拠点とする英賀(あが)一揆である。本日は、その旧跡とその後の歴史をレポートする。
姫路市飾磨(しかま)区英賀西町(あがにしちょう)2丁目の明蓮寺に「英賀本徳寺趾」と刻んだ石碑がある。昭和3年11月の御大典を記念して建てられた。
播磨における本願寺の勢力は、蓮如(れんにょ)の高弟空善(くうぜん)が、明応元年(1492)に英賀に道場を開いたことに始まる。そして、この道場が本徳寺として、播磨の本願寺教団の拠点となるのだ。
一世紀に及ぶ一向一揆の最後にして最大の戦い、石山合戦は、元亀元年(1570)に始まり、天正八年(1580)に終結した。この間、天正四年(1576)には、毛利勢の水軍が木津川口で織田勢を撃破し、本願寺へ兵糧を搬入するという重大な局面もあった。
当時、本願寺の総帥は11世顕如(けんにょ)であり、その後継者である新門は長男の教如(きょうにょ)であった。天正六年(1578)7月の日付の史料には、「新門渡海ニつき候て、芸州ニ一段入魂のしるしにて候」とか「新門様英賀御座候」とあり、教如が毛利氏との連携強化のために英賀本徳寺に滞在していたことが分かる。
新門さま教如が滞在されていたのが、ここである。といっても、英賀本徳寺のあった場所は現在、夢前川の川底に沈んでいる。明蓮寺の石碑は、広畑製鉄所の建設に伴う川の付替え工事により、昭和12年に今の場所に移転された。付替え以前の夢前川は今より少し西を流れていた。
以上の歴史を念頭に、「英賀本徳寺趾」の石碑の碑文を読んでみよう。
英賀御坊は今を去る四百三十七年明応元年蓮如上人の開基にして播州真宗発祥の霊地なり。蓋し英賀は当時海陸交通の要路に当り城下として殷盛を極めたれば此地を以て弘教の中心地と定めたるなり。かくて播陽の天地靡然として念仏に帰し真宗繁盛の基礎茲に定まる。然るに天正年間豊臣秀吉の英賀城攻略に際し寺基を亀山に移す。英賀に在ること九十一年間なり。
信長に対する抵抗勢力、石山本願寺は天正八年(1580)に顕如と教如が退去した後、焼失してしまった。天正十年(1582)には、本能寺の変で信長が倒される。豊臣秀吉が英賀本徳寺を亀山に移したのも同じ年である。時代は変わろうとしていた。
姫路市亀山に「亀山本徳寺」がある。天正十年(1582)に秀吉が移転したのはこの寺だ。現在の宗派は浄土真宗本願寺派で、西本願寺に属する。門主さまの御連枝が住持となる一家衆寺院である。
姫路市地内町(ぢないまち)に「船場(せんば)本徳寺」がある。元和四年(1618)に亀山本徳寺から分離した。現在の宗派は真宗大谷派で、東本願寺に属する。こちらも、門主さまの御連枝が住持となる一家衆寺院である。
今回は二つの本徳寺に参拝した。歩くとかなり距離がある。京都では西本願寺と東本願寺とが近く、深く考えもせず、巨大な伽藍に感動しながら両方に参拝するのだが、そもそもなぜ二つあるのだろうか。
石山本願寺にこもって信長に対抗した顕如と教如は、信長との距離のとり方で考え方が異なっていた。顕如は講和派、教如は抗戦派である。顕如が退去した後、教如はしばらく抵抗して退く。本願寺は紀伊鷺森(さぎのもり)、和泉貝塚、大坂天満を経て、天正十九年(1591)に京都七条堀川に移転した。これが今の西本願寺である。
天正二十年(1592)に顕如上人は遷化し、長男で新門の教如が門主の地位を継承した。しかしその翌年、顕如の妻で教如の母である如春尼(にょしゅんに)が、三男の准如(じゅんにょ)を門主とするよう豊臣秀吉に申し出た。教如の門主継承はなかったこととなり、准如が12世門主となった。
気の毒な教如を救ったのが徳川家康である。慶長七年(1602)に家康から本願寺のすぐ東に寺地の寄進があり、もう一つの本願寺が創建された。教如が12世門主となった。これが今の東本願寺である。
姫路の両本徳寺は、京都の両本願寺の歴史と連動している。本徳寺分立の動きを象徴するのは、教妙尼という女性である。
彼女は教如の娘で、はじめ亀山本徳寺の教円に嫁していた。ところが本願寺の東西分立に際し、教円は准如側について准専と改名することとなった。これにより教妙尼は教如のもとに召し戻され、船場本徳寺の初代となる教珍に再嫁したのである。
信仰の道場であるお寺にも、様々な人間ドラマがあるようだ。牛久大仏の記事では「お東紛争」についても書いている。
亀山と船場の両本徳寺は、大きな伽藍で迫力があり、宗教的な雰囲気に満ちている。お堂の広間で手を合わせると、広大無辺な仏の御心に包まれているような気になる。聞けば、浄土真宗は信徒数で我が国最大だそうだ。やはり史上最強は、昔も今も変わっていない。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。