満を持してついに登場した。キングオブ史跡、世界最大の墓、世界三大墳墓の一つ、世界遺産候補。空から見なければ全容が把握できない。歴史教科書には必ず掲載されている。全周2.8km。私は今回、三国ヶ丘駅から半周を歩いた。
堺市堺区大仙町に「仁徳天皇陵」がある。宮内庁管理の陵墓であり、文化財指定はされていない。世界遺産登録に向けて少しずつ学術調査が行われているようだ。
拝所から見れば山のようにしか見えないが、地図で見ると前方後円墳の形状がよく分かる。高い所から見たいなら、堺市役所高層館21階展望ロビーから眺めるとよい。だが、もこもことした緑地帯があるばかりで教科書のようには見えない。堺市では、気球に乗って上空から見学する方法を研究しているともいう。
世界三大墳墓の一つだという。クフ王のピラミッド、始皇帝陵と並ぶ最大級の墳墓ということだ。世界最大の墓だともいう。確かに長軸は486mで世界最大である。ただし、高さはピラミッドが断然勝っているし、体積は始皇帝陵が最大である。
教科書では「大山(だいせん)古墳」という名称である。「大仙」とも書くが、どちらの表記も江戸時代の文献に見える。陵墓としては「仁徳天皇百舌鳥耳原中陵(にんとくてんのうもずのみみはらのなかのみささぎ)」と呼んでいる。
地元のロータリークラブによって分かりやすい説明板が設置されている。読んでみよう。
わが国の前方後円墳として最も大きいのが仁徳天皇陵です。
墳丘の全長は480m、前方部の幅305m、後円部の直径245m、周濠を含めた東西の長さ656m、南北の長さ793m、周囲は2,718m、面積464,124㎡となっていて、その大きなことから大仙(だいせん)陵と呼ばれています。正式には「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」と言います。
日本書紀によると、仁徳天皇67年の冬10月5日に、河内の石津原(堺市石津町~中百舌鳥町一帯)に行幸して陵地を定め、同月18日から工事を始めました。
この時、鹿が野の中から走り出て、工事に従事している人々の中に走り入って、にわかに倒れました。人々があやしんで調べてみると、その耳の中から百舌鳥が飛び去り、鹿の耳の中が喰いさかれていましたので、ここを百舌鳥耳原と名づけたと記されています。
仁徳天皇は、それから20年後の87年の春正月16日になくなり、同年の冬10月7日に百舌鳥野に葬られました。(古事記には毛受(もず)耳原陵と書かれています。)
3段に築造した前方後円墳で両側に造り出しをもち、その墳丘をめぐって3重の周濠がつくられ、その外側に12の陪冢(ばいちょう)がつくられています。墳丘に、周濠となっている所から土を運んだと考えると、毎日1000人が働いて4年かかると計算されています。そのうえに、墳丘に並べる葺石の運搬、20,000個以上の埴輪の製作と運搬、中堤の築造、陪冢の造営などを加えると、莫大な労力がついやされたものと思われます。
徳川時代の中頃までは、陵墓の管理が充分に行われていませんでしたが、嘉永5年(1852)、ときの堺奉行川村修就はこれを憂いて、後円部上にあった勤番所を裏門に移し、天皇を葬ったと思われる後円部200坪に高さ3尺の石の柵を設けて、陵内を整備したと伝えられています。
明治5年9月、前方部正面の第2段のやや上がくずれ、立派な石積の竪穴式石室が発見されました。長持型石棺というすばらしい石棺と、石室面のあいだから金銅製の甲冑・刀剣の断片20・ガラスの椀などが見つけられましたが、もとの通り埋めたといわれています。この石棺と甲冑を精密に写した図が残っていますので、相当具体的に知ることができます。
「毎日1000人が働いて4年かかる」という。さすがは世界最大級の墳墓である。それほどに強大な権力を有していたのか。徳があったのか。それとも、景気回復のための大規模な公共事業であったか。
南向かいにある大仙公園に「百舌鳥耳原由来の像」がある。陵墓名にある「百舌鳥耳原」、JR百舌鳥駅や御堂筋線なかもず駅の駅名の由来を表している。制作者の岩田千虎(かずとら)は写実的な動物彫刻で有名な人だ。
説明板で紹介されている百舌鳥のエピソードを、『日本書紀』で読んでみよう。(第巻十一、書下し)
六十七年冬十月庚辰朔(ついたち)甲申、河内の石津原(いしつのはら)に幸(いでま)して、以て陵地(みさゝぎどころ)を定めたまふ。丁酉、始めて陵を築く。是の日に鹿有り、忽(たちまち)に野中より起きて、走りて役民(えだちよぼろ)の中に入りて仆(たお)れ死ぬ。時に其の忽に死ぬるを異(あやし)みて、以て其の痍(きず)を探るに、即ち百舌鳥耳より出でて飛び去りぬ。因りて耳の中を視るに、悉く咋割(くひさ)き剥(かきは)げり。故に其の処を号(なづ)けて、百舌鳥耳原(もずのみゝはら)と曰ふは、其れ是の縁(ことのもと)なり。
鹿の耳を食い破ってモズが出てきたという。ホラー映画でも考えつかないようなシーンだ。私も耳の中に蚊が飛び込んで大騒ぎしたことがあるが、それどころではない。
この伝説では、モズは生の象徴である。青い空の広がる野原に飛び立ったモズ。その下で眠る偉大な大王。生と死が繰り返されるこの世界を躍動感あふれるエピソードで描いたのだ。
仁徳天皇陵を含めこのあたり一帯の古墳群を百舌鳥・古市古墳群と呼んでいる。現在、ここの87基の古墳を対象として世界文化遺産への登録をめざしている。目標は2017年、再来年である。モズは再び飛び立つ準備をしているにちがいない。
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