頭がよくなりたいという願いなら、神社なら天神さまで、お寺なら文殊菩薩だ。「三人寄れば文殊の知恵」のように、文殊は知恵をつかさどる菩薩として、今春も受験生から篤く崇敬された。
今月16日の報道で「廃炉に3000億円もかかる」と不良物件扱いされた高速増殖炉「もんじゅ」は、天橋立の智恩寺の文殊菩薩に由来するそうだ。さすがの文殊さまも、こればかりは頭を痛めていらっしゃるだろう。
宮津市文殊の智恩寺に「智恵の輪灯籠」がある。
とても印象的なデザインであり、天橋立を代表する景観として、観光パンフレットによく掲載されている。近付いてみると意外に大きいことに驚く。宮津市内各地にこれを模したものが設置されているが、こんなところにも見られる。
智恵の輪灯篭は、新しいものかと思ったら、そうでもない。宮津市教育委員会の説明板を読んでみよう。
智恵の輪
この石達りの輪を、「智恵の輪」と言う。古来、舟航の安全にそなえた輪灯籠で、享保十一年(一七二六)刊行の「丹後與謝海名勝略記」巻頭を飾る「丹後與謝海天橋立之図」中、「天橋山智恩寺」海岸に、すでにこの輪灯籠が見られるから、その由来は甚だ古いと言わねばならない。
この輪灯籠をなぜ「智恵の輪」と言うかは、いろいろと説があって明かではない。けれども、遠い昔から智恵の文殊さまの境内にあって、その「九世の渡」の安全を守ってきた輪灯籠が、そのまま文殊さまの慈悲の光を海上に放つものと見る昔の人々が、これを文殊さまの「智恵の輪灯籠」と呼び馴れるのは、きわめて自然のことであった。
従って、この「智恵の輪灯籠」の輪をくぐり抜けた者には、文殊さまの智恵を授かるご利益があるという話など、これまた極めて自然な、しかもほほえましい諸人のユーモアではなかろうか。誠に、「智恵の輪」とは、文殊さまの境内に建つこの輪灯籠にのみ、ふさわしい呼び名である。
智恵の輪も文殊汀に時雨居り 浩一路
句は画家の近藤浩一路の作で、俳句集『柿腸』(昭和9)に収められている。同書には、「橋立の虹短くてまたゝく間」というのもある。通り雨に見舞われたのだろう。
輪灯籠はいつ誰が奉納したかなど詳しいことは分からないが、江戸時代中期の絵図に描かれていることから、由来は古いのだという。
国立国会図書館デジタルコレクションで『丹後国天橋立之図』がネット公開されているが、これが説明文中の絵図である。見ると、現在と同じような場所に「智恵の輪」があるのを確認できる。
天橋立のシンボルにふさわしい由緒である。関係ないが、私が最初に手にした知恵の輪も同じような形をしていた。二つの輪をひねるようにすると外れるものだったが、確かに何事も「ひねり」を加えることで面白くなる。
この日は休日で人が多く、カメラ片手に歩き回っていると小腹がすいてきた。門前でいいものを見つけ、あまり考えることなく買ってしまった。文殊名物「智恵の餅」である。あっさりして美味い。
Thank you for the comment.
投稿情報: 玉山 | 2016/03/30 20:48
私にとって非常に興味深いと便利な偉大な情報、。感謝
投稿情報: sewa genset | 2016/03/30 18:00
私にとって非常に興味深いと便利な偉大な情報、。感謝
投稿情報: sewa ac jakarta | 2016/03/30 17:43