伊勢神宮はなぜ伊勢にあるのか。伊勢にあるから伊勢神宮ですよ、という答えを求めてはいない。最高の格式を有する神社が、なぜ伊勢にあるのかを問うているのだ。
天皇の本拠地は大和にあった。ならば、大和の神社が最高クラスに位置付けられるのが自然だろう。なのに、なぜ伊勢なのか。伊勢神宮最大の謎がここにある。
宮津市字大垣に「籠(この)神社」が鎮座している。丹後国一宮にして総社、旧社格では官幣大社という格式の高い神社である。
この神社は「元伊勢(もといせ)」と呼ばれている。つまり伊勢神宮がお祀りしている天照大神(アマテラス)は、かつてこの地で祀られていたというのだ。ここは「お伊勢さまのふるさと」である。
伊勢神宮は最初から伊勢にあったわけではない。アマテラスはもともと宮中で祀られていたが、あまりにも神威が強いので、崇神(すじん)天皇は別の場所で祀ることとした。
アマテラスの神霊は、崇神の皇女の豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託され、姫は理想の鎮座地を求めて各地を巡った。さらに、その役目は垂仁(すいにん)天皇の皇女、倭姫命(やまとひめのみこと)に引き継がれ、二人の皇女合わせて26か所を巡って、最終的に伊勢の地に鎮まることとなる。
その26か所の2番目の鎮座地が籠神社で、当時は吉佐宮(よさのみや)と呼ばれていた。伊勢神宮の成立過程を記した『倭姫命世記』を読んでみよう。引用は『倭姫命の御巡幸』(アイブレーン)で紹介されている訓読文(その引用元は和田嘉寿男『倭姫命世記注釈』和泉書院)である。
三十九年壬戌(みづのえいぬ)、但波(たには)の吉佐宮(よさのみや)に遷幸(みゆき)なりまして、四年を積(へ)て斎(いつ)き奉る。此より更に倭(やまと)の国を求め給ふ。この歳、豊宇介神(とようけのかみ)天降(あも)りまして、御饗(みあへ)を奉る。
崇神天皇39年から4年間、伊勢神宮のアマテラスはここに祀られていたのだ。御杖代(みつえしろ)となって奉仕したのは豊鋤入姫命であった。だから、籠神社は「元伊勢」なのである。
26番目が現在の伊勢神宮だから、元伊勢は25か所ある。次に訪ねるのは5番目の鎮座地だ。吉備の国、岡山である。まずは『倭姫命世記』の内容を確認しておこう。
五十四丁丑(ひのとうし)、吉備の国の名方濱宮(なかたのはまのみや)に遷りたまひ、四年斎き奉る。時に吉備の国造、采女(うねめ)吉備都比売(きびつひめ)、また地口(ちのくち)の御田を進(たてまつ)る。
崇神天皇54年から4年間、伊勢神宮のアマテラスは名方濱宮に祀られていたのだ。御杖代(みつえしろ)となって奉仕したのは、籠神社と同じく豊鋤入姫命であった。名方濱宮の故地と伝えているのが、この神社である。
岡山市北区番町二丁目に「伊勢神社」が鎮座する。
名称が伊勢神宮とのゆかりを物語っている。境内に設置された説明板で由緒の一部を読んでみよう。
即ち、豊鋤入姫命の御遷幸のなか、「天照大御神」と「草薙の剣」が吉備国名方濱宮に四年間御鎮座になりましたのがこの伊勢神社であり、伊勢神宮に御鎮座になる三十八年前にお祀りされたことになります。
爾来、伊勢神宮の元宮として祭祀を続けここに二千有余年となる備前で最も古い社歴の神社です。
そう、アマテラスと草薙の剣は、ともに祀られて各地を巡っていたのである。この地は、三種の神器の一つが4年間置かれていた聖地なのだ。ところで、岡山市内にはもう一つ気になる神社がある。
岡山市南区浜野一丁目に「内宮(ないくう)」が鎮座する。
伊勢神宮には外宮と内宮があり、内宮(皇大神宮)はアマテラスを祀っているが、ここも同じ内宮である。標柱に「伊勢皇大神宮御聖跡」とあるのも気になる。境内に設置された説明板の一部を読んでみよう。
一、御創建
当社は、崇神天皇五十四年(紀元四十四年)に皇女豊鍬入姫命を御杖代として御創建になった由緒ある御社であり、伊勢神宮御創建に先立つこと四十年、日本で最も古い神社の一つです。
一、由来
はじめ、宮中に奉斎されていた天照大神は崇神天皇の御代、御神慮によって諸処に御遷幸になりました。当社は、この御遷幸伝承地の御社の一つで、古名を吉備国名方浜宮と言います。
おっと、名方濱宮はどちらなのか。伊勢神社が外宮でこちらは内宮なのか。伊勢神社はアマテラスだけでなく、伊勢神宮の外宮と同じトヨウケビメを祀っている。
だが、黒白をつけるまでもなかろう。『倭姫命世記』の成立は鎌倉時代後期とされる。それ以来、どちらの社も「元伊勢」と信じられてきた。そのことにこそ意味がある。
おそらくは伊勢神宮の御厨(みくりや)=所領か、御師(おし)=布教師の影響により形成された神話であろう。神話が事実ではないと考えるのは早計である。信じられていることが真実なのだ。
さて、冒頭の謎を解き明かそう。アマテラスを奉戴して二人の皇女が巡幸したのは、ちはやふる神の鎮まる最適な地を求めてのことだった。豊饒な丹後、吉備を巡っても納得できない。幾星霜を経て、ついに鎮座にふさわしい土地にたどり着いた。それが伊勢だった。そう考えるのが合理的だったのである。