カワイという地名は全国にあり、川と川との合流地点に位置している。地名として大きいのは奈良県の河合(かわい)町である。この町の川合(かわい)のあたりでは、大和川が曽我川などいくつかの川と合流している。
駅では、JR青梅線に川井(かわい)駅がある。ここでは多摩川と大丹波川が合流している。近代化産業遺産の「美作河井転車台」があるのは、JR因美線の美作河井(かわい)駅である。この近くでも阿波川と物見川が合流している。
井原市芳井町川相(かわい)に「中山城跡」がある。ここでも小田川と鴫(しぎ)川が合流している。
険しい山城ではないが、備後との連絡路を押さえる役割を果たしていたのだろう。登城口に説明板があるので、読んでみよう。
川相小学校裏にある中山城は文明二(一四七〇)年河合豊前守行重(かわいぶぜんのかみゆきしげ)が築いたと伝えられています。本丸部分は17m×53mの長方形で三段築城。東西に空壕跡があり中腹には五輪塔も多数残っています。本丸に祠られた稲荷大明神は築城の際に河合行重が勧請したと言われ、またふもとにある天満宮も行重によって延徳元(一四八九)年に建立されたと伝えられます。
戦国時代、河合氏は吉井の正霊山城主・藤井氏と姻戚関係を結ぶなどして勢力をのばしていきましたが、三代城主河合重元の頃には毛利氏の麾下に入って活躍をしました。天正九(一五八一)年、備前八浜での宇喜多直家軍との戦いにも参戦し軍功があったと言われます。
平成十七年三月 井原市教育委員会
『角川日本地名大辞典33岡山県』によれば、河合氏は出雲からこの地に移住したと伝えられ、永禄年間初期には備後神辺城主の杉原盛重に属したという。最終的には毛利氏のもとで働いたようだ。中腹に古そうな五輪塔が見られる。
本丸には稲荷大明神が鎮座している。築城した河合豊前守行重が勧請したものだという。
備中は、毛利氏VS尼子氏、後には毛利氏VS織田氏の最前線として戦乱が相次いだ。いまNHK大河で『真田丸』をやっているが、草刈正雄演じる真田昌幸は北条、徳川、上杉の間を渡り歩いている。おそらく備中の国衆も同じような状況だっただろう。
河合氏のその後は、よく分からない。城の麓にある川相小学校は、平成19年に芳井小学校に統合した。しかし今も、川相地区には河合さんが多い。そしてこれからも、城跡を地域の誇りとして語り伝えていくことだろう。