4月8日は誰の誕生日でしょうか。歴史人物や今を時めくタレントなど、同じ誕生日の有名人は数あれど、お釈迦さまの右に出る者はいまい。釈迦ことゴータマ・シッダールタは、紀元前463年(紀元前566年とも)4月8日に、現在のネパールのルンビニで生まれたとされる。生年は様々だが、4月8日(旧暦)には異論がない。
お釈迦さまの誕生日を祝って「花まつり」が行われている。小さなお釈迦さまの像に甘茶をかけてお祝いする。その釈迦像は右手で天を指し左手で地を指す。生まれた直後に七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と唱えた時の姿である。
浜田市国分町に「石見国分尼寺跡」がある。県指定史跡である。
このブログでは、土佐国分尼寺と美作国分尼寺を紹介したことがる。総じて国分尼寺は情報量が少ないことが多い。ここ石見国分尼寺も同じで、寺域や伽藍配置など全容が解明されているわけではない。説明板を読んでみよう。
石見国分尼寺跡は、本格的な調査が行なわれていないため、その規模や伽藍配置等は、明らかとなっていません。しかし、西に約三五〇メートル離れた石見国分寺跡(国指定史跡)から出土する軒瓦の文様と同じものが見つかっており、「比丘尼所」、「尼所」等の地名も周辺に残されています。
また、この地にあった曹洞宗東光山国分寺の本堂に使われていた礎石は、石見国分尼寺跡の礎石を割って、転用したものと言われています。
平成二〇年三月 浜田市教育委員会
国分寺に近いことや「比丘尼所」「尼所」という地名から状況証拠は大丈夫だが、後世の改変もあるため伽藍配置の正確な復元は困難なようだ。しかし、この史跡の意義は別のところにある。
ここからは、今から180~190年前の江戸時代後期に、「銅造誕生釈迦仏立像」が出土している。右手で天を左手で地を指す完形の誕生仏で、白鳳期の制作とされる。
近くに「石見国分寺跡」があるが、ここから同時期の「銅造誕生釈迦仏立像」が昭和63年の発掘で出土している。こちらは頭部と両手を欠いているが、優美な姿に高い評価がある。
このように国分寺と国分尼寺の両方で誕生仏が出土しているのは、全国でも石見国だけである。
「花まつり」は、古くは灌仏会(かんぶつえ)と呼ばれていた。飛鳥時代にはすでに灌仏会があったというから、石見でも何らかの法要を営まれていたのだろう。盛大に行われる稚児行列で親のほうがはしゃいでいるなんて、さすがにそんなことはなかっただろう。
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