時代劇で主人が外出する際に、奥さんが「無事で帰ってきておくれよ」と切り火を打つシーンがある。火花で清めるということなのだろう。そういえば、「かちかち山」も火打石の音である。こちらは縁起でもない、ウサギがタヌキに火をつけようとしていたのだ。
火打石は様々な場面で活用されているが、日本史上最大の活躍の場面は、英雄ヤマトタケルの東国平定であった。
伊勢市楠部町に倭姫宮(やまとひめのみや)が鎮座している。皇大神宮(内宮)の別宮という位置付けである。御祭神は倭姫命(ヤマトヒメ)である。
伊勢神宮と同じく倭姫宮も式年遷宮を行っている。上の写真は、平成26年12月に新たになった殿舎で、木の色味が若い。この宮の歴史も若く、大正12年の鎮座である。
近くにはヤマトヒメの御陵がある。
伊勢市倭町に「倭姫命御陵」がある。尾上(おべ)御陵ともいう。宮内庁が「宇治山田陵墓参考地」として管理している。古代の女性の中でも、かなりのVIPなのである。
以前に、「元伊勢」、つまり、伊勢神宮が現在地に鎮座まします以前に祀られていた場所を紹介したことがある。この時、アマテラスを奉戴して巡幸し、伊勢神宮の鎮座地を最終的に定めたのが、ヤマトヒメである。
だが、偉業はこれだけではない。『古事記』中巻「景行記」を読んでみよう。
故(かれ)命(みこと)を受けたまはりて、罷り行でます時に、伊勢大御神宮に参入(まゐ)りまして、神の朝廷(みかど)を拝みたまひて、其の姨(みをば)倭比売命(やまとひめのみこと)に白(まを)したまへらくは、天皇(すめらみこと)既(はや)く吾(あれ)を死ねと所思(おも)ほすらむ。何(いか)なれか西方の悪人等(まつろはぬひとども)を撃(と)りに遣(つかは)して、返り参ゐ上り来し間(ほど)、幾時(いくだ)も経(あ)らねば、軍衆(いくさびとども)をも賜はずて、今更に東方十二道の悪人等を平(ことむ)けに遣すらむ。此に因りて思惟(おも)へば、猶(なほ)吾既く死ねと所思ほし看(め)すなりけりとまをして、患(うれ)ひ泣きて罷ります時に、倭比売命、草那芸剣(くさなぎのたち)を賜ひ、亦(また)御嚢(みふくろ)を賜ひて、若(も)し急事(とみのこと)有らば、茲(こ)の嚢(ふくろ)の口を解きたまへとなも詔(の)りたまひける。
西国への遠征から戻り、憔悴していたヤマトタケルは、伊勢神宮に参拝して、叔母のヤマトヒメに気持ちを次のように吐露した。
「天皇は私に死ねとおっしゃっているのでしょうか。どうして西国の平定から帰って間もないのに、軍勢もつけずに東国の平定に出発せよというのでしょうか。やはり、死ねばよいと思っていらっしゃるのでしょう」
とさめざめと泣いた。
ヤマトヒメは草薙剣(くさなぎのつるぎ)と小さな袋を与えて、
「もし危険な目に遭ったら、この袋を開けなさい」
とおっしゃった。
袋には何が入っていたのだろうか。『古事記』の続きを読んでみよう。
故(かれ)爾(ここ)に相武国(さがむのくに)に到りませる時に、其の国造(くにのみやつこ)詐(いつは)り白(まを)さく、此の野の中に、大沼有り。是(こ)の沼の中に住める神、甚(いた)く道速振(ちはやぶる)神也とまをす。是(ここ)に其の神を看行(みそなはし)に、其の野に入り坐(ま)しつれば、其の国造、其の野に火をなも著けたりける。故(かれ)欺(あざむ)かえぬと知(しろ)しめして、その姨(みをば)倭比売命(やまとひめのみこと)の給へる嚢(みふくろ)の口を解き開けて見たまへば、其の裏に火打(ひうち)ぞ有りける。是(ここ)に先(ま)づ其の御刀(みはかし)以(も)て草を苅り撥(はら)ひ、其の火打を以ちて、火を打ち出で、向火(むかひび)を著(つ)けて、焼き退(そ)けて、還り出でまして、其の国造等を皆切り滅し、即ち火を著けて焼きたまひき。
相模にやってきた時、その土地の国造が「この野の中に大沼がございます。この沼の中に住まう神は、とても霊力のある神様です」とウソをついた。これを信じたヤマトタケルが、その神を見るため野に入ったところ、国造は野に火を放った。ヤマトタケルは騙されたと知って、ヤマトヒメからもらった袋を思い出した。中を開けてみると火打石が入っていた。そこで、まず草薙剣で草を刈り払い、火打石でこちらからも火をつけて、迫りくる火をくいとめた。難を逃れたヤマトタケルは、国造らを切り殺して焼いた。
ヤマトタケルは東国でも活躍し、我が国の統一を実現していく。こうした武力を象徴するものとして、後世に伝えられたのが「草薙剣」である。今は三種の神器となっている。
しかし、ヤマトヒメが剣とともに与えた火打石にも注目すべきではないか。火打石があったからこそ、ヤマトタケルは生き延びることができた。
草薙剣をA級アイテムとするなら、火打石はB級アイテムかもしれない。だが、B-1グランプリでゴールドを獲得するご当地グルメのように生活になじみ、庶民に重宝されてきた。火打石の縁起の良さは、『古事記』以来の長い歴史が保証している。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。