前回の『真田丸』は、大坂からの密使が、九度山に隠棲する信繁のもとへやってきたところで終わった。いよいよ大坂の陣の幕開けである。闇から現れた使者は「もと宇喜多秀家家臣、あかしかもんのかみてるずみ」と名乗る。最後のキリシタン武将と称される明石全登である。演じるのはダンス集団コンドルズの小林顕作。これから登場シーンが増えるだろう。
備前市吉永町今崎に「掃部(かもん)屋敷跡」がある。石碑には「従五位下左近将監 明石掃部介守重宅阯 従是西部段別 四段八畝十九歩」と刻まれている。石碑の向こう側の土地に屋敷があったのだろう。
掃部頭(かもんのかみ)といえば井伊直弼が有名だが、明石掃部はセリフのとおり宇喜多秀家の家臣、しかも篤信のキリシタンとして知られている。慶長四年(1599)の宇喜多氏の御家騒動で旧来からの重臣が去った後には、家中の筆頭格となって活躍した。
関ケ原の戦いに敗れた後、筑前秋月に隠棲し、大坂の陣で豊臣方の招きに応じて参陣した。このあたりの境遇は真田信繁に似ている。関ケ原の西軍と大坂の陣の豊臣方には、何人も共通の名前を見つけることができる。大坂の陣は、関ケ原の後にくすぶっていた余燼を絶つ戦いであった。
真田信繁は大坂の陣で戦死するのだが、明石掃部は戦死したとも逃亡潜伏したともいう。その潜伏先と伝わるのが、本日紹介の場所である。地元で発行された『吉永町の史跡あんない』を読んでみよう。
瀬戸町万富の保木(ほき)城主であった明石景親とその子の守重はともに掃部介であった。
父子ともに宇喜多秀家に味方し、大阪の役・関ケ原の戦に出陣して敗れ、行方不明と伝えられたが、晩年はふるさとの掃部屋敷に住んだのであろう。
明石掃部は、掃部介とも掃部頭ともいうし、諱は守重とも全登(てるずみ)ともいう。しかも熱心なキリシタンで、カタリイナとレジイナという洗礼名を持つ娘がいた。カタリイナは大坂落城時に亡くなり、レジイナは徳川方に捕らえられたが、家康の面前でも毅然として振る舞い、かえってその態度を称賛され放免になったという。
諸説ある名前や潜伏先のうち、史実を伝えるのはどれか。キリシタンの娘レジイナはその後どうなったのか。謎が多いことが明石掃部の魅力である。もしかすると、本当に信繁を迎える密使として九度山に赴いたのかもしれない。今後の『真田丸』では、明石掃部、いや小林顕作の全登(てるずみ)の出番にも注目していただきたい。
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