就職面接で「尊敬する人物は?」と訊かれると、かつては坂本龍馬だとか織田信長、聖徳太子と歴史上の偉人を挙げることが多かったが、最近は「親です」と答える若者が多いそうだ。
たしかに、信長が新時代を切り開いたことは偉い。聖徳太子が一度に十人の話を聞き分けたのはすごすぎる。しかし、苦労しながら自分をここまで育ててくれた親の偉大さに勝るものはない。身近な存在だけに、心からそう思うのである。今日は親孝行の話である。
浅口市寄島町柴木に「孝子甚助」の墓がある。孝子とは親孝行な子のことだ。
素晴らしい行いをした人に対して、毎年春と秋に国が「褒章」を授与している。危険を顧みず人の命を助けた人には「紅綬褒章」、ボランティアで素晴らしい実績を挙げた人には「緑綬褒章」などと、社会に貢献し他の模範となる人を公に褒めたたえているのである。
このような民衆の善導は、江戸時代から行われていた。三名君の一人として知られる岡山藩の池田光政は、儒教の精神を藩政の基本理念としており、孝子の顕彰には特に積極的であった。
承応三年(1654)、光政は領内柴木村の甚助を岡山城に召し出し、「孝悌之行」つまり年長者を敬う心がけが素晴らしいとして、田3反、畑2反を与え、永代にわたる租税を免じた。この時の感状は、浅口市指定文化財「池田光政判物」として今に伝えられている。
備中国浅口郡大島柴木村内抱分、田方三反、畠方二反、都合五反、孝悌之行有るを感ずるに依って永代之を与ふ。素より僻地之民、孝悌之教有るを知らずと雖も、誠に天質之霊妙なるかな。郡中皆其の美を称するに至る、是天之霊也。故に天禄を以て之を賞ずるものなり。
承応三年十一月十三日 光政 花押
柴木村 甚助
「天質之霊妙」と、甚助の人となりは、人知でははかり知れないほどすばらしい!と最大限の賛辞を与えている。このような孝行息子を持った母親は、どのように思っているのだろうか。『青年読本黄薇文叢』(大正9)「孝悌百姓甚助」より
孝子をもてば何事も心にかゝる事なければ、いかなる大名・高家をもうらやましく思ひ侍らず
人の幸せは、身分などのステータスではない。では何か。家庭である。家庭の幸せはすべてに勝るというのだ。そう考えてみれば、親が尊敬できるのも、子を誇りに思えるのも、なんと素晴らしいことであろうか。
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