「白鹿」というと灘の美味い酒だが、むかしむかし、本物の白い鹿が朝廷に献上されたことがある。天皇はたいそうお喜びになり、良いことが起こる前兆だとして元号を改めたという。
「平成」は30年までで、2019年元日から新元号となるらしい。これは皇位継承に伴う改元で、現在認められている唯一の改元理由である。しかし、かつては吉事や凶事があったとして、しばしば元号が改められていた。平均すると一つの元号の存続期間は5年くらいだそうだ。
岡山県苫田郡鏡野町冨西谷の白賀(しらか)渓谷は「白鹿発祥の地」、白い鹿が現れた場所である。
白は神さまに関係があるのか、白い動物は今も珍重されており、このブログでも国の天然記念物「岩国のシロヘビ」を紹介したことがある。では千年以上も昔にこの地に出現した白い鹿は、どのように記録されているのだろうか。説明板を読んでみよう。
白鹿発祥の地
文徳実録(元慶三年陽成天皇の勅撰により編さん)によると「文徳天皇の斉衡三年十二月二十八日(八五六年)美作国から朝廷に白鹿が献上されたその嘉祥なるを以って翌年二月に年号を『天安』と改め美作国苫田郡の調(税)を免ぜられる」とあります。
郡内いずれの地から献上されたかは不明であるが、作陽誌に「白賀山には猿、鹿非常に多し」と載せられ、また白賀(白鹿)の地名、白賀川とその上流にひらける広大な山岳などから、白鹿が現れたのはこの付近であると、昔から言い伝えられています。
平成二十一年二月 白賀川地域協議会
白鹿を献上した美作国苫田郡は税を免じられたという。珍しい動物を見つけたことで、とてもおトクな見返りがあった。我が国の正史『日本文徳天皇実録』巻第八の斉衡三年(856)12月28日条の原文を確認しておこう。
丁酉、美作国献白鹿、詔放神泉苑
28日、美作国が白鹿を献じたので、天皇の命により神泉苑に放った。
神泉苑とは平安京造営とともに整備された庭園で、現在は真言宗系の寺院となっている。この庭に放たれた白鹿は、新時代を告げる霊獣であった。『文徳実録』巻第九の2月17日条によると、朝廷は各地の神社に使いを送り、次のような宣命(せんみょう)を読み上げさせている。
これ斉衡三年十月廿日に、公卿のまをさく、常陸国より木連理(えだをつらぬるき)をたてまつり、同年十二月十三日に、美作国白鹿(しろきしか)をたてまつらくをまをせり。かくのごとき嘉瑞は、聖皇の御世に、天地のあらはしたまふものとなも聞し召す。これ薄徳の能く感致せしむべきものにはあらず。まことにこれは皇大神のめぐみたまひし示したまへるものなりとしてなも、貴び喜び受け賜わり、御代の名を改めて、天安元年とすることを申したまふに、使ひをつかはして、礼代(ゐやしろ)の大幣帛(おほみてぐら)を捧げ持たしめてたてまだす。
斉衡3年(856)10月20日に常陸国から連理木(枝同士がくっついた珍しい木)が献上され、同年12月13日に美作国から白鹿が献上されたと公卿が上奏した。このようなめでたいしるしは、徳の高い天皇が治める時代に、天の神と地の神がお示しになるものだと承知している。徳が薄い者が得るものではない。まことにこれはアマテラスがお恵みくださりお示しくださったものとして、ありがたく喜んでいただき、元号を改めて「天安元年」とすることとし、使いに敬意を表すしるしとして御幣を捧げ持たせて派遣する。
そして21日に改元が行われ、めでたいしるしを献上した地域に、ご褒美が与えられた。同書2月21日条より
よろしく美作常陸二国百姓の当年の徭役を廿日に復し、なかんずく瑞祥の出づる所に重ねて優矜(ゆうきん)を以てすべし。今年輸すべき苫田郡の調と真壁郡の庸は、并せて皆之を免ず。
とってもおトク感がある。珍しい白鹿を献上したことで免税されるのである。ふるさと納税の逆バージョンのようであり、寄付金控除の考え方に近いような気もする。もしかすると朝廷は、白鹿という希少動物を保護するためのインセンティブを仕掛けたのかもしれない。
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