東京オリンピックの熱狂が忘れられない人がTOKYO2020を実現させ、大阪万博の賑わいの忘れられない人がOSAKA-KANSAI EXPO2025を誘致しているのだろう。私は東京五輪の後に生まれたので、その熱狂は知らない。大阪万博は父が行ったので、なんとなくイメージできる。
大阪万博の頃は高度経済成長期で、人類の進歩に疑いを抱く人などいなかった。進歩した未来の子孫たちに見てもらいたくて、当時の叡智をタイムカプセルに詰めた。そのカプセルが、コレだ。
大阪市中央区大阪城の本丸跡に「タイム・カプセルEXPO'70」がある。
地方を旅していると、時々タイムカプセルを見かける。以前に「結城合戦タイムカプセル埋設記念之碑」をレポートしたことがある。600年前の出来事にちなむユニークなカプセルで、開封は2041年だそうだ。
では、近未来をイメージする銀色に輝くモニュメントの大阪万博カプセルは、どのようなものなのか。説明板を読んでみよう。
「人類の進歩と調和」をテーマとした日本万国博覧会を記念して毎日新聞社、松下電器産業株式会社の両社は同じ内容のカプセル2個を完成し、この地下15mに埋設しました。
日本をはじめ世界各国の人びとの協力を得て選んだ20世紀の文化所産2098点が、最新の保存技術によって特殊金属製容器に収納されています。
私たちは限りない世界の平和と繁栄を信じて、5000年後の人類にこれをのこします。
上部のカプセルは毎世紀初頭に、下部のカプセルは6970年に開封していただくことをここにお願いします。
カプセル 形状 球形 内容積 50万c㎥ 内径 1m 重量 2.12t
1971年3月15日
「20世紀の文化所産2098点」を「5000年後の人類」に伝え「6970」年に開封するという。何とも想像しがたい遥か未来のことである。小学校の閉校時に埋めたタイムカプセルを開けて、思い出話に花が咲くのとは、まったく別の感慨があることだろう。
小学校なら当時の児童の作文を入れていることが多いが、万博カプセルの「20世紀の文化所産」とは何か。本ブログでは「五千年後に伝える長塚節」と題して、長塚節の歌集がカプセルに収められていることを紹介したことがある。
収納品は当時の硬貨や紙幣、衣類や文房具、ブラウン管テレビなど、社会生活の様相を伝えるものが多いが、中にはいびきや歯ぎしりを録音したテープとかニセ千円札、サルモネラ菌という訳の分からないモノもある。意外にそんなもののほうが、貴重な情報になっているかもしれない。テープの素材は劣化しないのだろうか。菌は生き続けるのか。
上部カプセルは毎世紀初頭に開封するとされ、実際に2000年3月に開封・点検された。炊飯器やテレビなどは正常に作動したが、細菌の一部は死滅していたという。
今から五千年前の世界はやっと文明が生まれた頃で、日本は縄文時代だった。縄文人が現代社会を想像できなかったように、五千年先の世の中はどのように発展しているのか分からない。もしかすると細菌と同じように滅んでいるかもしれない。
手元に『今は昔の今なりや』(竹内書店新社)という本があり、1920年に各界人士が2020年を予測した文章が収録されている。オリンピックの開催はさすがに当たらなかったが、ある中学校の校長が、次のように書いている。
一、華・士族の呼称が廃せらる。
二、女が男と同様の教育を受くるようになり、家庭的に社会的に敬重せらるるようになる。
三、義務教育ということがなくなり、一般に今の中学程度ぐらいの教育を受くるようになる。
四、一般に酒を用いざることとなる。
五、遊郭がなくなる。
六、立憲制度が危くなる。
七、人口の増加が停止す。
八、官公吏が尊重さるるようになる。
一、二、七はその通りだ。特に人口の予測はよくできたものだと感心する。三も現在の高等学校への進学率の高さを考えれば当たっているようなものだ。四と五はそうでもないし、六と八はそうかもしれない。
未来を予測するのは至難の業だから、人はついつい予言を信じてしまう。大予言で有名なノストラダムスは、次のように述べている。『諸世紀』(たま出版)より
大きな数の七がすぎて
そのとき大殺りくがあらわれる
それは千年期からそれほどはなれていないときに
埋葬された人が墓からでてくるだろう
これは紀元七千年には、世界の終わりがやってきて、人間は神の裁きを受けると解釈されている。おお、そうだったのか。小学生の頃に信じた1999年7月に滅亡するという大予言は大外れだったが、7000年の予言は当たるかもしれない。
とすれば6970年に予定のタイムカプセル開封はなんとか間に合いそうだ。よかった、よかった。人類最後の思い出に「五千年前は夢と希望を信じていたんだな」とつぶやきながら、ブラウン管テレビの電源を入れるのだろうか。地デジ化ですでに見れなくなっているが、なんとかなるのだろうか。
何千年も先の未来を心配するより、明日の我が身を考えることが先決だ。毎日ちゃんと働いて節制した生活を心がけ、1970年に行けなかった大阪万博に、2025年には行けるようにしたいものである。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。