マスコット人類学によると、自治体のマスコットキャラクターには、人類系と動物系が目立つが、植物出身者も少なくない。その他、何モノかよく分からない妖精系もいる。坂出市の公認キャラクターは、おじゃる丸のような「さかいでまろ」である。
さかいでまろは、人類系キャラの中でも、地域ゆかりの人物や史跡を誇り高くPRする歴史グループに属する。崇徳上皇から和歌を習ったという平安時代の子どもである。坂出といえば、瀬戸大橋とか番の洲工業地帯とか重厚長大なイメージが強いが、なかなかどうして、国府所在地として貴人が往来し、人の心をしっとりと言の葉にのせる文化的な側面もあるのだ。
坂出市府中町に「開法寺塔跡」がある。県指定の史跡である。
この寺を、あの菅原道真が漢詩に詠んでいるのである。崇徳上皇は流されて讃岐にやってきたが、道真公は国司として赴任してきたのだ。政務のかたわら、製塩など地元の風土を背景に数多くの漢詩を詠んだ。これから紹介するのは、国府の官舎で床に就いた道真公が思ったことである。
「客舎の冬の夜」
客舎(かくしゃ)秋(あき)徂(ゆ)きて此の冬に到る
空床(くうしょう)夜夜(よなよな)顔容(かおばせ)を損(そ)したり
押衙(おうが)門の下(もと)寒くして角(つのぶえ)を吹く
開法寺の中(うち)暁にして鐘に驚く(開法寺は府衙(ふが)の西に在り)
行楽の去留(きょりゅう)は月砌(げっせい)に遵(したが)ふ
詠詩(えいし)の緩急は風松(ふうしょう)に播(うごか)さる
世事(せいじ)を思量(おもいはか)りて長(つね)に眼(まなこ)を開けば
知音(ちいん)に夢の裏にだにも逢ふことを得ず
秋が過ぎてとうとう冬になり、官舎暮らしも長くなった。
床に就いても妻はおらず、夜ごとに顔がやつれていくようだ。
寒いなか、衛兵が牛の角笛を吹いて門の守りを固めている。
明けがたに開法寺の鐘が鳴って、目が覚めてしまう。※開法寺は国府の西にある。
月を愛でる場所は、月が石だたみを照らす加減で決まる。
詩を詠じる調子は、松を通り抜ける風音の加減で決まる。
世の中のことをあれこれ考え、ずっと眠れないままでいるから
夢の中でさえ、私の思いを語ることができない。
冬の夜に一人で眠れずにいると、外から聞こえる物音に意識が研ぎ澄まされてゆく。さまざまな思いが浮かんでは消える。誰かに話せば気が楽になるのだろうが、夢の中でさえ誰にも会えない。
大きな礎石の上に心柱を立て、七重塔を想像しよう。開法寺の鐘が鳴るたびに、道真公はシンボルである七重塔を思い起こしただろう。私が見ている景色は、道真公の目にした風景とそれほど変わらず、公の孤独は私の孤独でもある。
讃岐守在任中に、藤原氏が権勢を誇示する阿衡事件が発生する。この時、道真公は誠意をもって藤原基経に諫言し、事件を収束させた。そのことが道真公の人生にどんな意味をもったのか。黙って平穏な役人人生を歩むのがよかったのかもしれないが、言うべきことを言わずにおれなかったのであろう。文部科学省の前事務次官を引き合いに出すまでもなく、今も昔も良心に従って物申すことのできるお役人はいるのである。
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