おむすびころりん、すっとんとん。ちいさい時分、誰もが耳にした昔話の名作である。小さな手からこぼれ落ちたボールを「まてー」と追いかけた経験を、おむすびを追いかけるおじいさんに重ね、臨場感を味わう。ストーリーも因果応報、勧善懲悪で分かりやすい。
では、我が国で最も偉大な国母、神功皇后がおむすびを落としたら、どうなるのだろうか。
浅口市寄島町に「苫陰(とまかげ)の井戸」がある。「寄島」という地名は、神功皇后が立ち寄ったことに由来する。
この井戸と神功皇后には、どのような関係があるのか。説明板を読んでみよう。
寄島町指定文化財 史跡 苫蔭の井戸
今を出る二千年の昔、神功皇后が三韓征伐の帰途、この島に軍船を泊めご休息のとき、この泉を発見され天神地祇を祀られたと伝えられる。出発のとき船の苫をこの井戸に蔽って立ち去られたので苫蔭の井戸と名づけられた。往時よりこの清水は涸れたことがない。当時は波打際にあったが海岸線が隆起して現在この地にあるが、由緒ある伝説の井戸である。
昭和五十二年三月十二日 寄島町文化財保護委員会
ずいぶん以前に記録した説明板なので、今もあるのか分からない。浅口市の文化財にも指定されていない。神功皇后の三韓征伐は史実ではないが、倭国と朝鮮諸国との戦いや斉明女帝の征西が影響しているとの推測がある。女帝は九州で亡くなってしまったが、皇后は畿内へ無事に帰還できたことになっている。その途中、皇后はこの島でお休みになられたのである。
「苫」とは、雨露をしのぐために茅(かや)などで編んだむしろで、船の上部を覆うものである。皇后はそれをとって井戸を蔽い、ゴミなどが入らないようにした。なんとお優しい方であろうか。
浅口市寄島町に「三郎島」がある。「三ツ山」ともいう。こちらは、浅口市指定の名勝である。
波が花崗岩を浸食して見事な景勝美を演出している。日の出の時間帯は一面が朱に染まり、夢のように美しいそうだ。この日は大潮の干潮で、三つの山が大きな一つの島となっている。こちら寄島と完全に地続きにはならないが、元気のいい子どもたちが浅瀬を歩いて三郎島に渡っていた。
さて、神功皇后は島を少し登り、見晴らしが良い大きな松の樹の下で食事を始めた。お弁当を広げたはよかったが…。土井卓士編著『吉備の伝説』(第一法規)より
昔、神功皇后が、寄島の笠松の下で休まれて食事をされた。そのとき、むすびが三個ころがって海に落ち、この三つの島となったという。
三ツ山は高さが10mあるというから、小さなおむすびがずいぶんと大きく化けたものだ。おじいさんのころがしたおむすびは結局、財宝となって返り、おじいさんを幸せにした。神功皇后のおむすびは景勝となって、旅人の目を楽しませている。
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