世の中でいちばん美味いのは、のどが渇いた時の水だ。こんな暑い季節は、なおさらそう思う。ふだん水道水ばかり飲んでいるから、水の味気なさには辟易している。だから、山のふもとから湧き出す水の冷たさと美味さは、夏の忘れえぬ思い出となるくらいに強烈だ。
兵庫県神崎郡神河町長谷のダム湖の脇に「清水地蔵命水」がある。のぼりには「命水 清水のお大師さん」と染め抜かれている。
平石山の地層を抜けてきた水が、絶えることなく湧き出している。私は手で受けて「命水」をいただいた。地層の冷たさが水から伝わってくる。ポリタンク持参で本格的に水を汲む人も多いようだ。
たつの市新宮町市野保に「お玉の清水」がある。こちらは崖下ではなく、田んぼの中にある。
こんな手押しポンプがあると、ついつい動かしたくなる。いい手応えとともに、勢いよく水が出るから楽しくなる。「お玉」とはいったい誰だろうか。説明板を読んでみよう。
「お玉の清水」については、いつの頃からこのように呼ばれたのかは不明ですが、鎌倉時代の女流歌人として有名な越部禅尼に縁のある榊原家(市野保)が所蔵している『越部君本書』(文化14年:1817)によりますと、歌人として名高い藤原俊成の孫娘で藤原定家の姪にあたる越部禅尼が、晩年に都より所領の越部上荘へ移り住んだ時に付き従ってきた待女たちが化粧の水として使ったと記されています。
この清水の東方には、因幡街道が通過しており、澄んだ冷たい清水は歩いて旅した昔の人達にとって、正に「玉露」の味わいがあったことでしょう。
平成16年4月 市野保自治会
越部禅尼については「『てんかさん』は天下にあらず 」で紹介した。禅尼の侍女が化粧水として使ったというが、侍女の名前が「お玉」だとは記されていない。関係がありそうなのは「玉露」だ。街道を往来する旅人にとって最高級の緑茶ほどの美味しさだと説明している。「玉露」が「お玉」の由来なのだろうか。まさか、水をお玉で汲んで飲んだから、ではないだろう。
ユニセフによれば、安全な水を手に入れられない人は、世界で6億6,300万人にものぼるという。濁った水をそのまま飲んだり、何時間も歩いて水を汲みに行ったりと、日本ではおよそ考えられないような現実がある。
だから日本に生まれてよかったではなく、だから日本人として何ができるのかを考えることが大切だ。聞くところによれば、日本の伝統的な井戸掘削技術「上総掘り」が、けっこう役に立っているらしい。
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