先月26日、「訪れてみたい日本のアニメ聖地88」が発表された。作品の舞台などを訪ね歩く聖地巡礼は近年、観光振興策として各地域が力を入れている。有名なところでは『らき☆すた』の久喜市、『ガールズ&パンツァー 最終章』の大洗町、岡山県内からは唯一『ひるね姫~知らないワタシの物語~』の倉敷市が選定された。
時代を象徴する新しい動きに見えて、作品の舞台探訪はツーリズムの伝統的な主題である。昭和世代なら文学散歩を楽しみにしている方も多かろう。このブログでも尾崎放哉の句碑を紹介したことがある。
さらにさかのぼると、江戸時代に『源氏物語』の宇治十帖古蹟が整備されている。ゆかりの地を訪ねたいと旅する心は、古来不変なのだ。本日は滝沢馬琴の名作『椿説弓張月』の舞台を紹介しよう。
観音寺市八幡町一丁目の琴弾八幡宮の裏手に「史跡 弓張月」と刻まれた石碑がある。
「史跡」は本来、歴史的な出来事があった場所のことで、ロケ地じゃあるまいしフィクションの舞台は当てはまらない。だが、『椿説弓張月』の物語世界を思い描いて、多くの人々がこの地を踏んだならば、そのこと自体に意味が生じる。物語の聖地となったということだ。
では、どのような物語なのだろうか。馬琴といえば『南総里見八犬伝』が有名で、薬師丸ひろ子や滝沢秀明など、何度か映像化されている。これに対して『椿説弓張月』は歴史用語として聞くのみで、何ら知らない。説明板を読んでみよう。
「弓張月」いわれ
江戸時代の読本作家、滝沢馬琴の書いた「椿説弓張月」のなかに源為朝の妻白縫が観音寺、琴弾の宮で夫の仇討ちをしたという話があります。為朝が京の戦いで敗れたとき、鎮西太宰府の舘(やかた)を守っていた白縫は召し使い八人とともに讃岐観音寺、琴弾の宮に落ち、神仏に夫の無事を祈っていました。
一方京では、敗れ傷ついた為朝は家来の武藤太の家に身をひそめました。その時武藤太は「為朝を捕えた者には過分のほうびをとらす」という敵方のおふれに目がくらんで密告したため為朝は捕われて八丈島に流されました。
主君を敵方に売った武藤太は“痴(し)れ者”として非難され居たたまらなくなって手下二人と西国に落ちました。
流れついたのが讃岐の国室本の港(観音寺市室本町)でした。港にあがった武藤太は武運に縁の深い琴弾の宮の近いのを知って参拝しました。祈る言葉は悪人らしく、為朝密告の恩賞の少なかったうらみごとだったのです。白縫は拝殿に祈る男の言葉からその男が夫の仇と知ったのです。「これこそ神の導き」と白縫は、ある月の夜酒宴と美女の琴で武藤太を誘い出し、みごと夫の仇を討ったのです。
いまも観音寺市琴弾八幡宮の境内には、この仇討ちを伝える史跡が保存され観光客が絶えません。
なるほど、ここは源為朝の妻・白縫(しらぬい)が、夫を裏切った家来・武藤太に復讐した場所だったのだ。もとより史実ではないが、この地に立って説明板を読めば、不思議とリアリティを感じる。美女のもてなしと思っていた武藤太が、悪人仲間の首を見せられビックリする場面を読んでみよう。『椿説弓張月』第十二回「琴弾神社に武藤太美に逢 観音寺村に白縫女仇を殺」(有朋堂文庫版)より
美女(たをやめ)又女使(こしもと)に対(むか)ひ、賓(まれびと)のいとさみしげに見え給ふに、酒をまゐらせよと仰すれば、此度(こたみ)は三人(みたり)ばかり斉(ひと)しくたちて、まづ盃(さかづき)銚子(さしなべ)をもて出て、武藤太に勧るを、しば/\辞すれども許さねば、已(やむ)ことを得ず盃を挙るとき、二人の女使おの/\殽(さかな)を携(たづさへ)出て、ほとりちかう閣(さしおく)を見るに、彼(かの)丈五丈六が首を剄(はね)て、折敷(をしき)の上に居(すゑ)たれば、武藤太おもはず盃をとり落し、戦慄(おのゝきふるへ)てせんすべをしらず。
このあと、武藤太は「十の指をひとつ/\、切落し切おとせば…」と惨殺されるのだが、あまりにも猟奇的なので紹介は控えておく。それにしても、馬琴の迫力ある筆致は、自然に読者を物語世界に引き込んでしまう。気分が高揚した読者はその舞台を見たくなって、琴弾八幡宮に参拝する。聖地の誕生である。
今回の「アニメ聖地88」には、誰もが知るジブリ作品が選ばれていないが、これはストーリーを実在の地域ではなく、普遍的な空間世界で展開しようとする意図があるからだという。聖地はあなたの心の中にありますよ、ということだろう。
いっぽう、聖地が設定されたアニメは、うたかたのように生まれては消えてゆき、人によって興味のあるなしがはっきりする傾向がある。コアなファンだけが訪れる場所ではなく、知らない人が訪れて、その作品のよさに気付く場所であってほしいと願っている。
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