ウイスキーもハイボールも飲まないが、「ウイスキーが、お好きでしょ」のCM(サントリー角瓶)は見入ってしまう。たぶん井川遥のせいだろうと思う。角瓶の歴史は古く、サントリー創業者の鳥井信治郎が「スコッチに負けない」との意気込みで昭和12年に完成させた。
経営者鳥井がウイスキーで成功した影には、優れた技術者がいた。それは本場スコットランドで学んだこの男である。
竹原市本町三丁目に「竹鶴政孝・リタ銅像」がある。
清水焼で知られる陶芸家・今井眞正氏の制作で、平成27年6月に完成した。この年の3月まで放映されていた朝の連ドラ『マッサン』の大人気が後押しとなったようだ。竹鶴政孝は竹原の出身で、今もある竹鶴酒造の分家筋に当たる人である。同じ竹原出身の池田勇人首相とは旧制忠海中学で一年先輩だった。
高等工業学校の醸造科を卒業後、洋酒の酒造会社に就職し、大正7年、純国産ウイスキー製造をめざす社の命によってスコットランドに留学した。そこで出会ったのが妻となるリタである。大正9年に帰国後、ウイスキー造りができるかと思いきや、資金繰り困難により社は製造を断念、竹鶴も退社する。
その後、鳥井信治郎にひっぱられ、昭和4年に今のサントリーホワイトを完成させた。努力は実を結んだ。ホワイトのラベルの「since1923」は、鳥井が竹鶴を山崎蒸留所の所長に任じ製造に着手した年である。
昭和9年、竹鶴は独立して現在のニッカウヰスキーを北海道余市に設立した。「ニッカ」の社号は、創業時の「大日本果汁」の「日果」に由来する。創業者の名を冠した「竹鶴ピュアモルト」は、昨年の伊勢志摩サミットでも供されたという。
さて昭和も半ば、池田首相の時代に次のようなエピソードがあった。川又一英『ヒゲのウヰスキー誕生す』(新潮社)より
昭和三十七年、来日したヒューム英国副首相は政府主催の歓迎パーティ席上、こう語ったことがある。
「わがスコットランドに四十年前、頭のよい日本青年がやってきて、一本の万年筆とノートで、英国のドル箱であるウイスキー造りの秘密を盗んでいった……」
実際には、ヒュームは外務大臣で、来日は昭和38年のことである。イギリスの現職外相として初めての来日であった。日英の深いつながりを具体的に述べるため、竹鶴を例に出したのだろう。「盗んだ」はもちろん英国流のウイットである。池田首相が竹鶴と同郷であることもリサーチ済だったかもしれない。
サミットで「竹鶴」が選ばれたのは、ウイスキーに情熱を傾けた竹鶴と彼を支えたスコットランド女性リタのことを、キャメロン首相や随行員に話題にしてほしかったからではないだろうか。
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