先日、水曜日のダウンタウンで「名前が数字の人 一から百まで存在する説」をやっていた。いぶかしげに見ていたのだが、本当の話だった。それぞれの名前には、親の思いが込められていて微笑ましい。有名な山本五十六元帥は登場し、直木賞の直木三十五は出てこなかった。
直木賞に選ばれたものの辞退した経験があるのは、山本周五郎である。その名を冠した山本周五郎賞は、大衆文学の権威ある賞として、今や直木賞と並んで知られるようになった。周五郎の本名は清水三十六(さとむ)といい、三十五と隣り合わせで面白い。しかし、番組での紹介はなかった。由来は明治三十六年生まれだからだそうだ。
神戸市須磨区須磨寺町四丁目の須磨寺仁王門前に「山本周五郎文学碑」がある。
周五郎は山梨県の出身だが、文壇デビューの作品は『須磨寺附近』といい、この地にゆかりは深い。なぜ須磨なのか。副碑には次のように説明されている。
この短編は大正十五年四月号の「文藝春秋」に発表された。周五郎二十三歳、関東大震災の直後、しばらく住んだ須磨での体験が素材になっている。
周五郎が友人の桃井達雄とともに須磨に避難したのは、達雄の姉じゅんがこの地に嫁いでいたからである。じゅんの木村家は須磨寺の近くにあり、周五郎がこの家のお世話になったのは5か月ほどであった。じゅんは周五郎にとって憧れの人だったらしく、『須磨寺附近』では、じゅんをモデルにした「康子」について、次のように表現している。
青木の嫂の康子はひじょうに優れて美貌だった。
周五郎自身を投影させている「清三」は、雨の降る夕方に「康子」に誘われて散歩に出る。碑に刻まれた小説の一節を読んでみよう。
須磨は秋であった。…
ここが須磨寺だと康子が云った。池の水には白鳥が群を作って遊んでいた。雨がその上に静かに濺いでいた。池を廻って高い石段を登ると寺があった。…
「あなた、生きている目的が分りますか」
「目的ですか」
「生活の目的ではなく、生きている目的よ」
傘を広げようとしながら康子が清三に投げかけた問いは、文学が常に問うているもので、私たちもまた自問しながら生きてきた。答えを見つけたような気になる時もあるが、問い自体に意味がなく、生きることそのものが目的ではないかと思うこともある。
こんな深い問いを美貌の人妻から投げかけられたら、間違いなく混乱するだろう。小説の中の清三もうまく答えられなかったようだ。だが、これを周五郎は生涯をかけて問い続け、今なお、多くの人の心を揺さぶっているのである。
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